あの日あの時は◼️2004年8月日アテネ五輪男子サッカー決勝アルゼンチン代表対パラグアイ代表。
地元開催となったFIFAワールドユース選手権での優勝メンバーが主軸。基本3バック1ボランチの守備に人数をかけないアルゼンチン。その最終ラインはアジャラとパリ·サンジェルマンのガブリエル·エインセ:Gabriel Heinze【1978年4月19日生】のOAコンビ。ビジャレアルからACミランに移籍したファブリシオ·コロッチーニ:Fabricio Coloccini【1982年1月22日生】を並べたから個の技術レベルで負けることはない。その前の膨大なスペースを一人で処理するのはハビエル·マスチェラーノ:Javier Mascherano【1984年6月8日生】。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
写真は2010年4月1日のリスボン。エスタディオ·ルスでのベンフィカ対リヴァプール。もう一人のハビエルとのアテネ五輪対決は
ハビエル·サビオラ:Javier Saviola【1981年12月11日】欠場で実現しなかったが硝子の天才パブロ·アイマ-ル:Pablo Aimar【1979年11月3日生】を見れただけで満足。リヴァプールの指揮官はかつてヴァレンシアFCで手腕を発揮したラファエル·ベニテス:Rafael Benítez【1960年4月16日生】。
アイマ-ルにとってはかつての師との再会だったが目立ったプレーはなく、黒いアウェーユニフォームのマスチェラーノも豊富な運動量で及第点の出来。ところがホ-ムチ-ムの右サイドで輝きを放ったのは、名前すら知らなかったアルゼンティ-ノ。この日この時からディマリアのファンになった。翌日は近郊の試合を取材するためオリエンテ駅に。1998年のリスボン万博開催に合わせて開業したポルトガル最大の交通ハブ駅を眺め、もしやと調べたら案の定アテネのスタジアムと同じ建築家だった。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
五輪決勝のパラグアイ戦に話を戻す。絶好調のカルロス·テベス:Carlos Tevez【1984年2月5日生】はバルセロナの新星(サビオラ)を控えに追いやる切れ味を見せていた。トップ下にはアンドレス·ダレッサンドロ:Andrés D’Alessandro【1981年4月15日生】。クラブ史上最高額となる950万ユーロの移籍金でドイツのVfLヴォルフスブルクが獲得。この金額は同クラブが塩貝健人:Kento Shiogai 【2005年3月26日生】の契約に支払ったのと同額。攻撃陣もタレントが揃っており前半18分大会得点王テベスの八点目のゴ-ルを余裕で守りきり、全六試合無失点を成し遂げている。
さて北中米ワールドカップ、ブラジル戦から一夜明けた一日、日本代表では最年少となる後藤啓介:Keisuke Goto【2005年6月3日生】と塩貝は取材に応じた際、2028年開催されるロサンゼルス五輪への強い出場意欲を示すとともに新たな目標として優勝の二文字を口にしている。
1968年開催のメキシコ五輪以降メダルを手にしていない日本が
「いきなり金メダル?」と思われるかもしれないがピッチサイドで出番を待った彼らが誰よりも感じているはず。戦術や采配などの理論では、説明のしようがない勝者のメンタリティ。優勝を経験したものだけが放つ屈強に動じない自信こそ最後の最後に勝敗を左右する。銀な銅ではWCで上位進出するために必要なものは得られない。