Foot ball Drunker 〔101〕visiting 『Rudolf Harbig Stadion』ドレスデン / ドイツ

アウグスト王が築いたバロックの都

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アーチ型のトレイン·シェッドが美しいドレスデン中央駅に到着。左端の時計の針は午後09時25分を指している。どうせ5時前でも真っ暗なのだから、何時に着こうと然程変わらない季節。寒いのも暗いのも苦手な人に冬の欧州はお薦めできない。


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12月ならば通称クリスマス·マルクトを楽しめるが2月となると思い浮かばない。下写真の横断幕に表示されたWeihnachts·markt auf… ヴァイナハツ·マルクト=聖夜の市が現地での正式名称。プラーガー通りに沿ってエルベ川の対岸まで屋台が軒を連ねる。初めてホットワインなる飲み物を口にして寒さに耐えきれず手袋を購入。この街のシュトリーツェル·マルクトは、ドイツ3大クリスマス·マルクトの一角として名を馳せる。


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マルティン·ルター:Martin Luther【1483年11月10日生-1546年2月18日没】を保護し、プロテスタントを承認したことで知られるザクセン選帝侯フリードリヒ3世:Friedrich III【1463年1月17日生-1525年5月5日没】が、1434年に開催した肉市場から発展した催し。

新市街地区には曇り空でも金ピカで眩しい騎馬像。1730年に自国の軍事力を内外誇示しようと欧州各国から貴族や軍部首脳を招いたフリードリヒ·アウグスト1世:Friedrich August I【1670年5月12日生-1733年2月1日没】は当時60歳。祝祭を盛り上げたのはパン職人達に焼かせた重さ約1.8トンもの巨大シュトレン。


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私生活はやりたい放題で食事は贅沢三昧、医師の助言に耳を傾ける気など更々無く三年後鬼籍に入るアウグスト王。死因は糖尿病の合併症といわれている。

アウグスト王の即位三百周年を記念して1994年の開催時には巨大シュトレンも復活、今やシュトリーツェル·マルクトでは恒例の出し物に。

ザクセン選帝侯後にアウグストII世の名前でポーランド王に君臨したのは1697年。この街とワルシャワに壮麗な宮殿を次々と建築した。第二次対戦の爆撃で倒壊したツウィンガー宮殿は1992年に、フラウエン教会は2005年に再建されている。
ドレスデンを中心に文化·芸術が繁栄、科学の振興により新しい産業が目覚ましい発展を遂げたのもアウグスト王の時代。


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1900年代初頭、エルベ川に架かるアウグストゥス橋が完成。上写真はツウィンガー宮殿の手前ドレスデン城=レジデンツ宮殿を撮影した。

橋の途中に屋外インスタレーション。トビアス·ステンゲル:Tobias Stengel【1959年生】の『Die Woge』(2006)。
2002年のエルベ川の氾濫を題材に浮世絵巨匠へのトリビュート作品。1986年にドレスデン美術アカデミー卒業後フリーランスで創作活動を続ける。大学や研究所など科学に関連した施設で芸術と科学のインターフェースに着目。科学的発見に対する自身の理解を作品として表現する独特のスタイル。2007年から09年までドレスデン工科大学で講義を行っているのも頷ける。