今大会のアルゼンチンはメッシを除くと優勝した前回に比べ個々のタレントの質が些か劣っていた印象。決勝まで勝ち上がったのは幸運と書いても同意してくれる方は多いはず。アンヘル·ディマリア:Ángel Di Mara【1988年2月14日生】をはじめ、メッシを支えながら自身も輝く選手が目立っていたのがカタ-ルでの栄光。さて試合後の騒動で、選手でもないのにいいトシをして血気盛ん。オ-ルドファンからすれば懐かしいその姿。ダ二·オルモ:Dani Olmo【1998年5月7日生】に手を出し動画の再生回数をのばしたのはコ-チのロベルト·アジャラ:Roberto Ayala【1973年4月14日生】。数日後には「もし会う機会あれば、必ず謝罪する」と頭を冷やしての大人コメント。カタ-ルのチ-ムよりも遥かにアルゼンチンが憎らしい程強いと思ったチ-ムがあった。アジャラが主将章を巻いた2004年アテネ五輪男子サッカー代表は手がつけられない強さを世界にアピールしてから二十二年の歳月が過ぎた。
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痛恨のエ-スストライカ-離脱 ハンブルクがビッグイヤーを掲げたスタジアム
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それにしても北中米大会の日本代表。負傷者続出には参った。これまでチ-ムの軸となる選手が直前で離脱するケ-スは比較的少なかったと思う。唯一の例外がそのアテネ五輪だろうか。当時ドイツのハンブルガーSVに所属していた高原直泰:Naohiro Takahara【1979年6月4日生】は’02年に続いて再びエコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)を発症しての離脱。小野伸二:Shinji Ono【1979年9月27日生】と黄金世代の両翼。片羽をもがれたのは痛過ぎた。1983年に欧州王者としてトヨタカップに来日したハンブルガーSV。5月25日の決勝戦でイタリアのユヴェントスを下した会場が前年完成したアテネの巨大総合競技場だった。お馴染みゼブラのウェアに対して上から下まで真っ赤。胸にはクラブ名を略したHSVの三文字。’80年のファイナルは上下白
で真紅のノッティンガムフォレストに敗れていた。
第百六十話はアテネ·オリンピック·スタジアム。スタンドの下にはハンドボ-ルコ-トが備わっており、見慣れたAEKアテネのエンブレム。ハンドボ-ル部門は2005年に創設され、国内だけでなく’21年のEHFヨーロピアンカップで初優勝するほどの強豪だったとは。
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