Foot ball Drunker 〔97〕visiting 『 Štadión Antona Malatinského』 トルナヴァ / スロバキア

日航機墜落で 帰らぬ人に

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今月2日20時をまわった羽田空港。日本航空旅客機と海上保安庁機の衝突による影響でトルコやテキサスからの長距離便は成田空港に、東アジア各都市からの便は大阪や名古屋に着陸。


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歌手の坂本九:Kyu Sakamoto【1941年12月10日-1985年8月12日没】が日航機墜落事故で逝去されたのは1985年。ソ連邦にゴルバチョフ政権が誕生、米ソの首脳会談が実現し世界は大きく変わろうと動き出した頃、筆者は都内中野区の四畳半風呂なしアパートでの独り暮らし。


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スロバキアのブラティスラヴァから列車で30分。’14年に改築を終えた駅舎は小さな空港のターミナルに見えなくもない。

下写真は駅売店で購入した新聞とズラティー·バジャント(黄金の雉)のロング缶。この銘柄もハイネケン傘下にあり、近隣国のスーパーでも度々見かける。


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第97話はスロヴァキア西部、同国の人口では七番目の都市にある蹴球場。名前のインパクトだけなら欧州トップクラス、その名もシュタディオーン·アントナ·マラチンスケーホ。同市出身の名将アントン·マラチンスキー:Anton Malatinský【1920年1月15日生–1992年12月1日没】の名前を冠する。《マラチン》と聞いて日本人男性が股間の息子さんをイメージするのは仕方ないとして、モンゴルではマラチン=Malqinは放牧者を表す言葉。マラ=Malは。モンゴル語で家畜を意味する。


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ロシアもソヴィエトもない時代をどんどん九世紀まで遡ると、スウェーデン人がキエフ公国を建国している。13世紀にモンゴル軍の襲撃により、現在のモスクワ周辺に逃げた元キエフ公国民たち。彼らによりロシアの原型が築かれる。蒙古が対馬や壱岐を侵略した史実からも、その残虐性は異常を通り越して狂っているとしか思えない。ポーランドやハンガリーの中世ヨーロッパ諸国の王達が迫りくるモンゴルへの脅威に対して、矢面に立てたのがキエフの後継国ハールィチ・ヴォルィーニ大公国。この国のルーシ人が現代ウクライナ人の祖先。現在ロシア相手に一歩も引かないのは受け継がれた血のなせる業か。
2015年8月22日にリニューアル·オープンしたスタジアム。一周年を祝い、マラチンスキーの銅像の除幕式が行われたのは翌16年。スタジアムに向って61号線沿いの緑道をひたすら北に歩む。途中見かけた銅像·モニュメントはプレスブルク(現在のブラチスラヴァ)で神学を学び、標準スロバキア語を大系化した偉人。


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 2014-15シーズンにジリナ(※話)でスパルタク·トルナヴァのマルティン·ミルコビッチ: Martin Mikovic【1990年9月12日生】を撮影した。33歳の現在も主将章を巻いて味方を鼓舞する。この試合はブレス席に腰を降ろしているが、記念に一般席チケットも購入。カバー写真だと文字が小さくて判り難い価格は3ユーロと印字されている。


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