Foot ball Drunker 〔102〕visiting 『Stadion Miejski w Poznaniu』ポズナン / ポーランド

そろそろ行く頃  日本にポーランドとハンガリー

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写真はブリュッセル滞在時アンデルレヒト戦取材に向かう途中の風景。古い建物と靡く欧州旗のコントラストが如何にもベルギーの首都。ブリュッセルで今月1日に開かれた欧州連合:EU臨時首脳会議。議題は明確でウクライナへの支援金の額。結果は今後四年間で最大500億ユーロ(約8兆円)で合意。欧州は少なくとも二、三年は停戦はないと踏んでいるのか。反対するハンガリーも渋々首を縦に振った形。9年ぶりに返り咲いたのはドナルド·トゥスク:Donald Tusk【1957年4月22日生】首相。元欧州理事会議長の同氏により親EU路線へと回帰の舵を切ったポーランド。ちなみに’07年誕生した前のトゥスク政権は親露で国民の支持を得たのだから世界情勢=時代の風向きは真逆。


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この両国とロシア:旧ソ連の歴史を顧みるならば1956年は外せない。同年の共同宣言成立により、それまで反対していたソ連の支持を得た日本は国連加盟を実現できた。語呂合わせでは、そろそろ行く頃《ソ露×2、1イ9ク5コ6ロ》。

6月28日にポズナンで反ソ暴動が勃発すると、ソ連軍を制止して共産党自ら鎮圧。ゴムウカ政権が誕生し緩和政策へと踏み出すポーランドに対し、ブダペストでの反ソ暴動はワルシャワ条約機構からの脱退を宣言。ハンガリー共産党のナジ=イムレ:Nagy Imre【1896年6月7日生-1958年6月16日没】は、侵攻した条約機構軍=ソ連軍に抵抗して処刑される。

一時は逮捕·投獄されながら第一書記に就いたヴワディスワフ·ゴムウカ:Władysław Gomułka【1905年2月6日生-1982年9月1日没】は、焦らずゆっくり[行く頃]を選択したボズナン暴動。イムレは一気に玉砕[逝く頃]となってしまった1956年のハンガリー動乱。

現在はポズナン人口は約60万人。周辺の町村を含め110万人以上の都市圏を構成しておりポーランド第四の規模。ワルシャワから西に300キロ、ベルリンから東にほぼ同距離。両国首都の中間地点で発展を遂げた工業都市。2016年にアサヒグループホールディングスが業界世界最大手アンハイザーブッシュ·ブッシュ·インベブの東欧事業(ポーランドの二大ブランドを含む)買収に費やした額は九千億円。


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LECHのスペルでレフと発音。同国の伝説「レフ、チェコ、ルーシの白鷲」の中では狩りに出たスラブ三兄弟が、各自異なる獲物を追って別々の方向へ。北へ向かったレフは白ワシに遭遇する。夕陽に染まる鷲を吉兆と捉えポーランド国が誕生する。白鷲の紋章と白に夕焼けの赤を並べた国旗。ポーランド人男性にこの名前をよく見掛けるのも伝説の影響か。


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第102話はレフ·ポズナンの本拠地、ポズナン市立競技場。2012年開催のUEFA欧州選手権でも使用された43,090人収容。設計·建築は地元のModern Construction Design sp社に市が発注。クラブのエンブレムには創立年を示す1922の数字と白鷲の翼。
社会主義時代はポーランド国営鉄道会社のチームとして鉄道職員=コレヨシュ:Kolejorzを名乗る。伝説の創国者レフへと変名したのは前述暴動年の『行く頃』。


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