そろそろ行く頃 日本と東欧に大きな転機
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昨日(15日)我が国の首相と約九十分間の首脳会談に応じたのは、訪日中のドナルド·トゥスク:Donald Tusk【1957年4月22日生】首相。’24年2月1日に開かれた欧州連合:EU臨時首脳会議。議題は明確でウクライナへの支援金の額。結果は今後四年間で最大五百億ユーロ(約八兆円)で合意。欧州は少なくとも二~三年は停戦はないと踏んでいた。唯一反対したハンガリーのオルバン首相も説得されて渋々首を縦に振った形。そのオルバンの十六年に及ぶ長期政権に終止符が打たれたから同国の外交路線は方向を転換する。
対して九年ぶりに返り咲いたのはトゥスク首相。元欧州理事会議長の同氏により親EU路線へと回帰の舵を切ったと思われたポーランド。しかし。昨年に就任したナブロツキ大統領は自国第一路線を主張したから政治的なねじれ関係にあるのが同国の現状。ちなみに’07年誕生した前回のトゥスク政権は親露で国民の支持を得たのだから時代の急激な変化を痛感させられる。そういえば先週四月十日はレフ・カチンスキ:Lech Aleksander Kaczyński 【1949年6月18日生-2010年4月10日没】の十六回目の命日だった。
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この両国とロシア:旧ソ連の歴史を顧みるならば1956年に起こった様々な出来事は見過ごせない。ソ連は、’51年のサンフランシスコ平和条約でのに調印を拒否していたから日ソ間には国交どころか形式上は戦時状態が続いていた。1945年米英仏露中の常任理事国五ヶ国と戦勝国五十一ヶ国による国際連合が発足されポーランドも加盟している。しかしソ連と法的交戦中の日本の申請はソ連の発動した拒否権により却下されたのが52年。三年後の’55年にはハンガリー、ブルガリア、ル-マニアの東欧勢と敗戦国イタリアが加盟したのだから、’54年に親米一本の吉田内閣から政権を奪った鳩山民主党内閣は何が何でも国際舞台に復帰したい。
そして56年2月にニキータ・フルシチョフ:Nikita Khrushchev【1894年4月17日生-1971年9月11日没】が世界の表舞台に登場する。前任者スタ-リンの狂気と独裁政治を白日のもとに晒した。西側との平和共存路線に転換を図ったから絶好の機会が到来した。春にモスクワのクレムリンへ飛び直談判をする。日ソ漁業条約締結を手土産に帰国すると、二度目の渡露により共同宣言が成立したのは十月。12月18日の国際連合総会で反対していたソ連と東欧諸国と賛成を得て悲願の加盟を実現した。筆者が勝手につくった語呂合わせでは、そろそろ行く頃《ソ露×2、1イ9ク5コ6ロ》。是非とも歴史の授業で活用していただきたい。
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自ら収めてゆっくりが成功したポーランド 今日の親露は強硬策で玉砕した歴史を教訓とするハンガリー
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さてポーランドでは6月28日にポズナンで反ソ暴動が勃発すると、ソ連軍を制止して共産党自ら鎮圧。ゴムウカ政権が誕生し緩和政策へと踏み出したのがポーランド。
対してブダペストでの反ソ暴動はワルシャワ条約機構からの脱退を宣言。ハンガリー共産党のナジ=イムレ:Nagy Imre【1896年6月7日生-1958年6月16日没】は、侵攻した条約機構軍=ソ連軍に抵抗して処刑される。一時は逮捕·投獄されながら第一書記に就いたヴワディスワフ·ゴムウカ:Władysław Gomułka【1905年2月6日生-1982年9月1日没】は、焦らずゆっくり[行く頃]を選択したのがボズナン暴動。イムレは一気に玉砕して[逝く頃]となってしまったのがハンガリー動乱である。現在はポズナン人口は約六十万人。周辺の町村を含め110万人以上の都市圏を構成しておりポーランド第四の規模。ワルシャワから西に300キロ、ベルリンから東にほぼ同距離。両国首都の中間地点で発展を遂げた工業都市。2016年にアサヒグループホールディングスが業界世界最大手アンハイザーブッシュ·ブッシュ·インベブの東欧事業(ポーランドの二大ブランドを含む)買収に費やした額は九千億円。