Foot ball Drunker 〔102〕visiting 『Stadion Miejski w Poznaniu』ポズナン / ポーランド

浪人中のファン·デン·ブロムには、エジプト・プレミアリーグ4位のピラミッドから巨額のオファーがあるらしい。

さて、結びはポーランドを代表する二人のレフ。まずはレフ·ヴァウェンサ:Lech Wałęsa【1943年9月29日生】。独立自主管理労働組合を発起して’80年から民主化への道を切り開く。’83年にはその功績にノーベル平和賞が贈られ、90年の大統領就任後、自由化民営化を実現した。日本では何故かワレサさんの名前でお馴染み。
そしてヴァヴェサが安全保障大臣に任命した故レフ・カチンスキ:Lech Aleksander Kaczyński 【1949年6月18日生-2010年4月10日没】。空軍所属専用機がロシア西部スモレンスク北飛行場に墜落、カチンスキ大統領はじめ乗員乗客96名全員が死亡したのは14年前。

ポーランド政府/大使館は公式HPのメッセージの中でカチンスキが残した「今日はグルジア、明日はウクライナ、明後日はバルト諸国、その後、我が国ポーランドの日が来るかも知れない。」の言葉を引用している。2009年セルビアでの演説で未来を予言していたカチンスキ。


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独伊と同じく議会共和制のポーランドでは、大統領職はあくまで象徴的存在。国外で元首としての挨拶が主な仕事。政権運営の実務、国を動かすのは首相の仕事。当時反露の大統領発言も国民は軽視していたのか。
ウクライナやグルジア(現ジョージア)との連帯を掲げNATO(北大西洋条約機構)加盟を支持していたカチンスキ。他人事と構えていた西欧首脳とは別次元の危機感を抱いていた彼がもし存命であれば現在ウクライナでの残劇は回避できたのだろうか。

何の根拠もない筆者の推論ではあるが、当時プーチンが密かに書いたシナリオを実行するうえで、シナリオを予想し得る最大の障害レフ·カチンスキの死にロシアが絡んでいたとしても、今となっては何ら不思議ではない。[第102話]


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◼️写真/テキスト:横澤悦孝 ◼️モデル:葉山知音里