スタジアムは二次大戦後の1952年にオープン。当初はブラニック·マリボルの本拠地だったがこのクラブは’60年に消滅。現在はマリボル市が所有·管理する市営の公立スタジアム。老朽化に伴い改修を計画が持ち上がる。その内容は既存の建物を残して、新たに屋根付きの観覧席=12,500人収容規模と、VIPおよび報道関係者用の空間を備えたフットボール専用へとリニューアルされる。また体育館、プール付きのフィットネスクラブ、売店、レストランなどの付随したサービスも充実した公共施設の概要が発表され’98年にコンペが実施される。
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流麗な曲線を活かした独特のフォルム これぞスタジアムの傑作
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1999ー2000 シーズンにはNKマリボルがスロベニアのチームとして初めてUEFAチャンピオンズ·リーグ=CL出場を果たから、機運も高まる中で改修工事の着工に。六十年代に建てられたのは、コンクリートのアーチ型の屋根で覆われた上写真。この西側の独立した旧スタンドがピッチ周りの一辺。残る三辺に伸びる馬蹄=U字型の新設されたスタンドが下写真。波打つリングの屋根で囲まれている。リノベーションの第一段階は€1000万を費やし’08年に完了。見違えるほど美しくデザインされたスタジアムが披露された。翌’09年にはIOC/IAKS銀メダルを受賞し注目を浴びるが誰がデザインしたのか興味をそそられた。
コンペの勝者はロク·オマーン:Rok·Oman【1970年生】とスペラ·ヴィデニュイッキ:Špela·Videčnik【1971年生】が’96年に設立したOFISアーキテクツ グラフィック事務所。共に自国のリュブリアナで学んでいた彼らが、先ず旅だった先は英国ロンドン。
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ここで建築学の修士号を取得。2001年英国&アイルランドで最も優秀な若手の建築家としての称号を手にすると、同年グラーツでの住宅複合施設の国際コンペティションに優勝。’06年にヨーロッパ イノベーション アワードのグランプリを獲得した。
アジアでは’04年の第一回北京建築ビエンナーレ、北米では’05年のマイアミビエンナーレでの受賞。’15年には『アルパイン·シェルター』で米国ボストンのAIAニューイングランドデザイン賞を受賞しており、その前年からボストンのハーバード大学を定期的に足を運び、その豊富な知識と経験を次世代の育成に役立てている。