欧州の舞台で元Jリーガー大活躍
Jリーグ創世期、チェコに先鞭をつけたのはパベル・ジェハーク:Pavel Řehák【1963年10月7日生】をスラヴィアから獲得した東日本JR古河電工。その後サンフレッチェ広島が90年ワ-ルドカップチェコ代表のイワン・ハシェック:Ivan Hašek【1963年9月6日生】の入団を獲発表。そのハシェック監督&パヴェルコーチのヴィッセル神戸に2004年招かれたのがホルヴィことPavel Horváth【1975年4月22日生】。Jリーグが開幕した1993年にプロデビュー。しかし当時からスパルタ・プラハは国内最強。出場機会を求めてヤブロネツへ移籍。そこで実績を残しもう一つのトップクラブ、スラヴィアに移籍するとチェコ代表にも招集されている。不遇を託ったポルトガル、トルコ両国ビッグクラブでの時間を経て母国のテプリツェへと帰還したのは2002年。“パヴェル・ホルヴァト”の名前を初めて目にしたのは2003-04シーズンのUEFA杯決勝トーナメント一回戦のスタッツ。前々回の覇者フェイノールト・ロッテルダムがまさかの一回戦敗退。1stレグで試合開始僅か二分、退場者を出したフェイエノールトはデ・カイプで0-2の敗戦。この時テプリツェの十番、キャプテンマークを巻いていたが懐かしくも既にそれ程若くないホルヴィである。
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2004年の2ndステージから参戦。第十節のサンフレッチェ広島戦では前節セレッソ大阪戦に続く二試合連続ゴ-ルを決める。白黒縦縞の十四番は卓越したゲ-ムメイクと精度の高いプレースキックで存在感を示し、このシ-ズンは守備的中盤の位置から十四試合で六ゴ-ルと決定力の高さを証明している。
一シ-ズン制に変わった25年。三浦知良:Kazuyoshi Miura 【1967年2月26日生】とホルヴィのゴ-ル競演でセレッソ大阪に快勝のスタ-ト。しかし不調に陥り両目が開いたのは五月。そのから三ヶ月間白星がなく度重なる監督更迭からカズは横浜FC移籍、結局一度も最下位から浮上することなくJ2へと降格する。残留したホルヴィも古巣スパルタが用意した契約書にサインをして日本を離れたのは妥当な選択だった。
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スパルタでの二シーズンを経て2008-09シーズン、ホルヴィのフットボール人生は大きな転機を迎える。ヴィクトリア・ブルゼニへの移籍。2000年代前半、一部と二部間で浮き沈みを繰り返していたこのクラブはパヴェル・ヴルバ:Pavel Vrba【1963年12月6日生】監督(上写真)の指導により一気に台頭する。10-11シーズンには悲願の国内初制覇。2011-12シーズンUEFAチャンピオンズリーグプレーオフは、初出場ながら前年ベスト16まで勝ち残ったFCコペンハーゲンを破る金星。欧州のフットボールシーンに其なりの衝撃を与えた。本戦GSではミラン、バルサと対戦。ミランとは2-2のドローで三位を確保。EL決勝トーナメントの権利を手にする。一回戦難敵シャルケ相手にホルヴィはチップキックで先制点をアシストする。2ndレグで敗退決定も大きな自信と経験をボヘミアに持ち帰ったシーズン。2012-13シーズンはEL予選二回戦から出場。順調に勝ち上がり決勝トーナメントへ。一回戦ではナポリ相手に二試合合計5-0での大差をつける圧勝、今度は紛れもなく大きな衝撃を与えた。ベスト16でフェネルバフチェに敗れこそするものの国内制覇でクラブ創設百周年に花を添えたホルヴィは歴代最優秀選手の栄誉を授かる。
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翌13-14は再びCLの予選を勝ち抜きプレーオフではマリボルを破り本戦出場。抽選の結果マンチェスターシティ、バイエルン・ミュンヘンの英独巨星と同組に。CSKAモスクワ戦には本田圭祐:Keisuke Honda【1986年6月13日生】が出場しており元Jリーガー対決も実現。ホルヴィが神戸入りした04年、当時星陵高校三年の本田は特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加しナビスコカップで公式戦初出場している。翌05年、高校卒ル-キ-ながら開幕スタメンに抜擢され途中出場は二試合のみ、十一試合に連続出場するが12節の神戸戦は休養でベンチ外に。つまり本田とホヴィ-Jのピッチで顔をあわせたは後にも先にも一試合のみ。8月20日岡山で開催された19節。後半途中出場の本田は十分の短い時間が与えられた。欧州最高峰のコンペティションで八年ぶりに再会を果たしたのだから神戸名古屋両クラブのサポーターと観戦した岡山県民には感慨深い。10月2日第二節モスクワでの対戦ではトップ下の本田もホルヴィ&
トマーシュ・ホジャヴァ:Tomas Horava【1988年5月29日生】のダブルボランチ相手に手を焼いたのは否めない。それでもアウェーチ-ムが本田の逆転ゴ-ルで勝利しているのだからさすが日本が誇る千両役者である。
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紙面はチェコ語でも添えているのが六大ミュンヘナ-の一角に名を連ねるSPATEN:シュパーテン。ミュンヘンから初めてヘレス:Hellesラガーを世に送り出した銘柄。CLグループステージ第三節は同月23日のアリアンツ・アレナ。カタ-ニャから名将を指揮官に迎えたバイエルン。スコアは計5-0と完膚無きまでに叩きのめされた。これは自らのノウハウを提供したのにピルスナーに元祖の称号を奪われたミュンヘンの職人たちの口惜しさと無念が、現在のバイエルンを後押ししていたに違いないとオカルト的に決めつけた。ホルビィの輝かしいキャリアの中でも稀にみる大敗は、ホップの利いたピルスナーのよりも苦い体験となった。