151〗Ukraina Stadium / リヴィウ

日本代表の完勝を見届けて クパ-ラの誕生を祝う祭りへ

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日本代表とチェニジアの試合を見届け、16時前に足を運んだのが井の頭恩賜公園。この日はNPO法人 日本ウクライナ友好協会 KRAIANYの主催するクパーラ祭。日本から出なくても体験できるのなら行かない手はない。キリスト教伝来以前の古代から自然信仰はこの地域には根づいていた。太陽を象徴する神《クパーラ》の誕生を祝福し、浄化、恋愛、豊穣を願う行事が夏至に行われるウクライナ。花冠を頭に飾り白い伝統衣装を身にまとった女性達が、古代スラヴ文化を今に伝えるべく舞い歌う姿は神秘的で魅了された。子どもの頃に体験したキャンプのレクリエーションを思い出させる自然の中での民族的なアクティビティを参加者も楽しんでいた様子。
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第29話では二次世界大戦以降の歴史のみ述べたので、もう少し遡ることに。そもそもこの都市が西洋史に登場するのは十三世紀。現在のウクライナ西部、ベラルーシ西部、ポーランド東部にまたがる広大なハールィチ·ヴォルィーニ大公国の時代。同国はルーシの伝統文化を継承しつつ、リヴィウの建設によってウクライナ文化圏の形成の礎を築いた。1340年代にポーランド王国の領土になると、西欧からイタリア人やドイツ人など多様な民族が流入する。市中心部にあるリノック広場の周囲に並んでいるのは、十六世紀頃に建てられ貴族が暮らしていたルネサンス様式の建造物。この一帯は1998年に『リヴィウ歴史地区』としてユネスコの世界遺産に登録されてからは、リヴィウを訪れてシャッターをきらない旅行者などいない。
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ポーランド分割により今度はオーストリア帝国領に。この時期に自治権が拡大した事で、ウクライナ独自の文化が大きく発展する。学者や芸術家が集まり西ウクライナの中心となり、現在もまたの名は『知性の都』。二次大戦時にソ連に併合されるまでは、ロシアの支配を受けていないこともあり、五百キロ以上離れている首都キ-ウとは趣が異なるのも当然。