Foot ball Drunker 〔6〕visiting 『Stadio Renato Dall’Ara 』ボローニャ/ イタリア

要職を兼任(独占)したファシスト

北にロンバルディア州、南のトスカーナ州に挟まれたエミリア ロマーニャ州。ミラノとフィレンツェを行き来する際、必ず経由するのが州都ボローニャの駅。いつも慌ただしく、アーチ型屋根の列柱が並ぶ美しい街並みを堪能する余裕がない。ポルトサラゴサ地区にあるスタディオ・レナート・ダッラーラ:Stadio Renato Dall’Araも外周を駆け足で眺めただけ。


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前回書いたレアンドロ・アルピナーティがボローニャ市長に就いたのは1926年。ボローニャFCは、彼が会長在職中の24-25シーズンにイタリアタイトルを獲得している。クラブチームの会長がFIGCの会長も兼任と、もう訳がわからないのはファシズムならでは。

アルピナーティ自からローマの古代カラカラ浴場で感じたインスピレーションを基にスタジアム建設プロジェクトが始動。屋根付き観覧席の反対側にシンボルとなるトーレマラトーナも完成する1929年には、市長職を辞して内務次官の要職に。


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それから間もなく百年もの月日が経とうとしている。年明けのボローニャFCで存在感を示したのが新加入のクロアチア人ミッドフィルダー、ニコラ・モロ:Nikola Moro【1998年3月12日生】。中盤の逸材を次から次へと輩出するディナモ・ザグレブ・ユース。最終節でモロとダブルボランチを組んだのは退団が決まっていたガリー・メデル【Gary Medel 1987年8月3日生】。


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ワルテル・マッツァーリ【Walter Mazzarri 1961年10月1日 生】を新指揮官に迎え入れた2013年のインテル。指導者としてのスタートは、96年ボローニャのアシスタントコーチから。
サンシーロで試合開始前のワンショット。右から二人目18番がメデル。左から二人目うつむいているのは8番はロドリゴ・パラッシオ【Rodrigo Palacio 1982年2月5日】。