テキサスの若馬 第四十六代王者ドリ-に哀悼の意を表す
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昭和の名プロレスラー、ドリー·ファンク·ジュニア:Dory Funk Jr【1941年2月3日生-2026年8月4日没】が鬼籍に入った。享年八十五歳。グレートテキサンの愛称で知られるが生まれはインディアナポリス。そしてフロリダで息を引き取った。
’77年『オ-プンタッグ』、流血の兄弟愛でファンクスが一大ム-ブメントに。個人的には’75年の『オープン選手権』での来日が印象に残る。結果準優勝ながら外国人対決が全て名勝負。中でも福岡でのバロン·フォン·ラシク:Baron Von Raschke【1940年10月17日生】戦は十四分半の攻防を今見ても味わい深い。さすがNWA:ナショナル·レスリング·アライアンス世界王者に長く君臨しただけのことはあると納得した小学生時代。
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彼のホ-ムテリトリーはテキサス州のアマリロ。都市圏人口は三十万人程度。同じテキサス州でも東のダラスフォ-トワ-ス地区は鉄の爪の縄張り。1940年代から80年代にかけて、アメリカのプロレスは全米各地を個別のプロモーターよる棲み分けができていた。地域色の色濃い試合が展開され、NWAなどの統括組織の下で共存していたからUEFAが統括する現在の欧州フットボールと共通する部分もある。
ところが1984年からは、ハルク·ホーガン:Hulk Hogan【1953年8月11日生-2025年7月24日没】をトップに据え、WWEを率いたビンス·マクマホン·ジュニア:Vince McMahon【1945年8月24日生】が衛星放送やケーブルテレビを利用して各地区のテリトリーの壁を次々と壊してしまう。巨大資本による進撃のマクマホンである。選手を次々と引き抜かれ、ローカル·テリトリーは消滅·吸収され従来のビジネスモデルは残念ながら幕を閉じた。