121〗Stade de Gerland /リヨン

猪木VSアリ世紀の一戦から二十二年 リヨンで日本代表を黒い壁が阻んだ6.26

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人種差別を理由にオハイオ川に投げ捨てたのはフィクションかもしれないが十八歳で金メダルを獲得したのと生涯黒人差別に抗ったのは事実。カシアス·クレイ:Cassius Clay【1942年1月17日生-2016年6月3日没】。またの名をモハメドアリは兵役を拒否するなど、リングの上だけでなくその生きざまが、最も格好いい黒人アスリートで、彼を知ったきっかけは当時連載中の漫画『愛と誠』。太賀誠の憧れの存在としてクレイ、後のアリが登場したからである。そのアリとプロレスラーのアントニオ猪木:Antonio Inok【1943年2月20日生-2022年10月1日没】が日本武道館で対戦したのが1976年6月26日。半世紀が過ぎた2016年6月4日アリが鬼籍に入って既に十年の歳月が過ぎた。前述の日本対ジャマイカ戦が二十二年後の同日だったのはハッキリ覚えているが離婚した元嫁の誕生日も同日だった事にも今さらながら気づいた。
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天に召された兄への想いと絶望から自らを救い上げたR&Bの名曲

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1966年にボビー·ヘブ:Bobby Hebbがリリースしたのはリズム&ブルース/ソウルの名曲『Sunny』。この曲は三年前に既に作られており、
テネシー州ナッシュビルのナイトクラブ周辺で、ボビーの六歳上の兄であるハロルドがナイフで刺殺された事件が創作の背景にある。明るく陽気で前向きな性格を表す言葉Sunny disposition。実際サニーという名前のアメリカ人は多く、猪木が’64年のアメリカ修業時代=に指導を受けたのがサニー·マイヤース【1924年1月22日生-2007年5月7日没】だった。『Sunny』は自分の中でR&Bの代名詞となった。アフリカ系アメリカ人によるレイス·ミュージックからの流れは欧州にはないアメリカらしさを感じ、小学生の自分の中でヘブはアリと並んで格好いい黒人の象徴となっていた。
その後カ-ペンターズやアバをラジオで聞いているとボニーMの『Sunny』が流れてきた。ヘブのオリジナルが耳にこびりついていたからエコーのかかったきらびやなサウンドはあまり好きにはなれなかった。
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あれから五十年を経てYoutubeでボニーMの映像を見て腰を抜かすほど衝撃を受けた。当時アバの映像は日本のテレビ画面で頻繁に目にする機会はあったのにボニーMは刺激が強過ぎてタブーとされていたのだろうか。ほとんどテレビで見た記憶がない。『ゴ-ゴ-!ラスプ-チン』で跳ねている元気なおっさん、そんな微かな記憶は頭からぶっ飛んだ。ホビー·ファレル:Bobby Farrell【1949年10月6日生-2010年12月30日没】は、マイケル·ジャクソン:Michael Jackson【1958年8月29日生-2009年6月25日没】が登場するまでは間違いなく、世界最高のショ-ダンサーだったのである。
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