つまり日本人初となる魂のゴンゴールが日本サッカー史の扉を開いたスタジアムはドイツ人の勤労の上に成り立っていたのである。歴史を紐解くと本場欧州との初顔合わせは1919(大正8)年1月26日に広島高等師範学校のグラウンドで行われた試合で間違いない。ドイツ人捕虜兵は、サッカーを通じて広島市民と交流を深めていた。同盟国の英国ではなく、ドイツ人捕虜が日本で欧州の技術を持ち込んだ興味深い史実。日本人がサッカーボールを蹴ったのは1873年(明治6)英国のアーチボルド·ルシアス·ダグラス:Archibald Lucius Dougla【1842年生-1913年没】少佐と海軍兵学寮の生徒とのふれあいから始まった。
1914(大正3)年、その英国からの要求で日本はドイツに宣戦布告、中国における拠点であった青島を叩く。アジアの偏狭を守備するドイツ兵など、たかが知れている。戦闘は瞬く間に終了。四千五百名強のドイツ人が日本各地の収容所へと移送される事に。
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日本対ジャマイカ戦は、セオドア·ウィットモア:Theodore Whitmore【1972年8月5日生】が二得点を決めて初勝利へと導いた。ジャマイカ代表がFIFAワ-ルドカップに出場したのは後にも先にもこのフランス大会だけ。貴重な勝利をプレゼントしてしまったが、それに対してボブスレーチームは、’88年初出場以来、ミラノで合計十回目の冬季五輪出場を記録したのだから大したもの。