131〗De Koel / フェンロー

これは必見 ホンダVSストロートマンのマッチアップ

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あの日あの時は◼️2009年11月22日エ-ルディヴィジ14節VVVフェンロー対スパルタロッテルダム。本田圭佑:Keisuke Honda【1986年6月13日生】は得点/アシストにこそ絡まなかったがフル出場すると中盤の潤滑油となり勝利に貢献した。一方敗れたスパルタではあるが中盤で才能のアピールしたのが十代のケヴィン·ストロートマン:Kevin Strootman【1990年2月13日生】。この試合の五日前に行われたU21欧州選手権予選四節スペイン戦は八分し出場時間はあたえられなかったが、前週三節のルクセンブルク戦にはフル出場を果たしている。
実はリ-グ戦では初対決となるが前月27日のカップ戦三回戦で両者は顔を会わせており1-1で時間切れ。PK戦の末ホ-ムでスパルタロッテルダムが勝ち上がっている。スパルタの先制点はストロートマン、VVVの得点は本田のアシストでサンドロ·レナト·カラブロ:Sandro Renato Calabro【1983年4月11日生】が決めたゴ-ル。そういえばこのヒトは後にスパルタでもプレーしている。
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本田は残る四試合を二勝二敗でウィンターブレークに入ると2010年の年明けCSKAモスクワへの移籍が実現する。当時は春秋制で国内はオフだったからセヴィ-ジャとのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)でロシアデビューを飾り敵地アンダルシアで1G1Aの活躍でミラノ(インテル戦)への道を開いた。オランダ·テレフラーフ紙のインタビューで本田は国内移籍ならぱPSVと明言していたから実現していれば一年半後に加入するストロートマンとの中盤でコンビを組んでいたかもしれない。オランイェのマエストロがロッテルダムからユトレヒト、アイントホーフェンを経由して永遠の都に着いたのは13-14シ-ズン。半年遅れて本田もロッソネロの十番を手渡された。2013年11月16日にベルギー·へンク行われたオランダとの親善試合は日本の背番号四、ミラン移籍前の本田のゴ-ルでドローに持ち込む。オランダの背番号八、ストロートマンへのマ-クはは長谷部誠:Makoto Hasebe【1984年1月18日生】の仕事だったが局面で本田とも激しいコンタクトが見られた。負傷した膝に再三メスを入れ二シ-ズンでリ-グ戦の出場試合は僅か十一試合。
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