駆け抜けたサッカー人生に悔いなし 悔いがあるとするならばドルトムントのピッチで手を差し出せなかったこと
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今大会で対戦前、メディアのインタビューに「ブラジルがもし負けても悲しくはならない。日本には、コインブラ家の足跡が刻まれているのだから」なるコメントが切り抜かれ一部のブラジルファンからは批判的な声も上がった。
それに対して日本国内のSNSでは擁護し感謝の投稿が散見した。日本サッカーに深い愛情を注ぎ、義理堅いジーコはピッチ外でも日本の文化を愛し、現在も日本を「第二の故郷」と呼び絆を紡いでいる。ドイツ大会は残念な結果ではあったが、あの時ジ-コに日本代表を託したのは間違いではない。代表チ-ムの監督をに日本人を据えるべきか外国人を招くべきか論じることに意味があるとは思えない。サッカーにおいて我が国は後発の途上国である。目先の勝ち負けではなく、長期的な視点で発展に尽力してくれる人物を招聘できるのであれば国籍は関係ない。上映終了後に握手してもらうと「オブリガード」と自然に言葉が口から溢れた。
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’06年のドルトムントで残念なのは試合後のあのシ-ン。ピッチで起き上がれなかった孤高の存在、中田ヒデに唯一宮本恒靖:Tsuneyasu Miyamoto【1977年2月7日生】が歩み寄り声をかけた。主将としてではなく1993年日本で開催されたFIFA U-17世界選手権のチ-ムメートとして。付き合いは長い。そこに戦友·松田直樹:Naoki Matsuda【1977年3月14日-2011年8月4日没】がいてくれたなら?あそこまでの孤立は回避できたはず。2005年の3月、バーレーン戦でベンチ外にされると無断でスタジアムから帰宅する規則違反でジーコとの関係に亀裂が入る。修復できず代表を去った松田は後に急性心筋梗塞で鬼籍に入った。享年三十四歳。急逝から十五年。本日八月四日は偉大なる松田直樹の命日である。〖第百三十二話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:瀬里菜
