162〗BVB Stadion Dortmund / ドルトムント

あの日あの時は◼️2006年6月22日ワールドカップグループリーグ第三戦ブラジル代表対日本代表

上映前には舞台挨拶とトークショー。北中米大会に関してジ-コは参加国増によるレベルダウンと商業化への疑念を抱かせるハイドレーションブレイク導入にも苦言を呈した。
また日本とブラジルの試合では、後半から完全に引いて守る采配には不満を漏らしていた。それを聞いて思い出したのは初戦カイザースラウテルンでの豪州戦。布陣は3-5-2。ウイングが下がれば5バック。酷暑の中引いて守り逃げ切ろうとする守備陣。しかしボランチの中田英寿:Hidetoshi Nakata【1977年1月22日生】だけは追加点を奪おうと前がかりに。そこでジ-コは後半34分小野伸二:Shinji Ono【1979年9月27日生】をピッチに送り出した。
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船出となった2002年のジャマイカ戦。欧州組の四で中盤を構成する和製「黄金のカルテット」がジーコジャパンの原点。最終的にバランスを考えて守備力を買われた福西崇史:Takashi Fukunishi【1976年9月1日生】がレギュラーに。豪州戦の危機的な状況でジーコが修正を施したのは、中田ヒデが上がってポッカリ空いてしまったボランチのスペースを埋める一手。守勢に回り、それが続くとメンタルが委縮し焦りからミスが生じる。ミッションを託されたのは小野。しかしその交代意図が通じておらず自身の持ち味である攻撃=前側に傾く。結局戦術面での不一致が解消されないまま同点に。こうなると、攻めるのか守るのか意思統一が更に難しくなり逆転を許してしまう。この時自分たちがボ-ルを保持する時間を長くしたかったジ-コの心理は理解できる。ならば小野のパスセンスよりも、もう一人の黄金のカルテット、バランサータイプで対人守備に優れた稲本のほうが適任ではなかっただろうか。そしてディフェンスにあの男がいたならば…
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そして4-4-2にチェンジしてのクロアチア戦をドロー、崖っぷちに追い込まれた状況でブラジル戦を迎えた。
大会前に風邪で発熱した中村俊輔:Shunsuke Nakamura 【1978年6月24日生】がクロアチア戦の前に点滴を打って出場していたのを知ったのはかなり時間が過ぎてから。それでも体調不良なのか本来のキレがないのは誰の目にも明らか。ジ-コは戦術ありき、適した選手を各ポジションに当てはめるタイプの監督ではない。よく言えば柔軟なフォーメーション。一か八かの大博打を打たなければならない母国との対決でどんな奇襲が効果的か。この時、筆者が考えていたのは4-5-3-1 。前年リヴァプールFCのラファエル·ベニテス:Rafael Benitez【1960年4月16日生】 によって一気に世界のトレンドとなったシステム。これがぶっつけ本番でも以外にハマる気がしないでもない。

中村をスタメンから外してクロアチア戦で途中出場した稲本と福西を並べたダブルボランチ。中田ヒデを本来のポジションである一列前にあげる。ポイントはその両脇、右は鹿島時代からの師弟の絆は深くクロアチア戦のQBK発言が注目を集めた柳沢敦:Atsushi Yanagisawa【1977年5月27日生】。運動量は豊富で守備意識も高い。メッシ-ナでも戦術理解の高さを買われてこのポジションで起用されている。左にはドリブラーの玉田圭司:Keiji Tamada【1980年4月11日生】。ワントップは屈強なドイツのディフェンダーを背に受けても、体勢が崩れない高原直泰:Naohiro Takahara【1979年6月4日生】。考えられる最高の布陣だと思うのだが付け焼き刃は流石に無理があるか。実際に蓋を開けてみると、ノ-ゴ-ルのツ-トップを入れ替えてきた。指揮官の期待に応え玉田が先制ゴール。玉田が戻したボ-ルを稲本はダイレクトで左サイドオ-バ-ラップしてきた三都主アレサンドロ:Santos Alessandro【1977年7月20日生】に供給する。そして絶妙のアシスト。しかしこのゴ-ルが虎の尾を踏んでしまい結果は1-4の逆転負け。ベスト4進出の目標を掲げて挑みながら未勝利での帰国だから期待外れ、厳しい批判に晒されたが日本代表にとっては、まだ三度目のワ-ルドカップ出場だった。