34〗Stadion Gdańsk / グダニスク

自由の街から星条旗なびく自由の国へ

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第34話はポーランド北部の港街、スタディオン·エネルガ·グダニスク。“自由の街グダニスク”その異名には二つの意味がある。まずは1980年8月 造船所での不当解雇が火種となり、バルト海沿岸へと広がった火の手は百万人以上の労働者を巻き込み空前の大ストライキが勃発。ここから九年後の自由選挙へと繋がり民主化を実現した。もうひとつはドイツがバルト海沿岸を支配していた一次大戦時、ヴェルサイユ条約により、グダニスク周辺を国際連盟保護下の自由都市に決めたこと。つまりこの都市だけがドイツ領とは切離され、ポーランドとの関税同盟を締結した歴史がある。しかしグダニスク湾に停泊中のドイツ戦艦の砲撃を合図にポ-ランド侵攻の幕が切って落とされる。開戦の地である同市には世界最大規模の戦争博物館があり二次大戦の記録を後世に残す役割を担う。ポーランド系とロシア系のユダヤ人達が北米へと移住する拠点だったグダニスク。自由の街は自由の国へ通ずる場所だったのである。
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バルト海に面した波蘭は 波乱万丈の国

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ポーランド国鉄(PKP)のワルシャワ·グダニスク駅。それほど大きな駅ではないが地下鉄&トラムとの乗り換えができるので結構利用していた。
しかし、その名前からワルシャワとグダニスクを結ぶ列車の始発駅と勝手に思い込んでいた。調べたたところ路線が運行しているのはワルシャワ国立競技場から目と鼻の先にある東駅。なんと紛らわしいことか。三時間列車に揺られての北上して感じたのは、やはりポーランドは広い。暮らす人々の雰囲気も内陸のワルシャワやクラクフと微妙に異なる気がする。港町だけに多種多様な人々が行き交い異文化が融合したグダニスク。ポーランド政府がEUから依頼された難民受け入れに対して拒否した際も、後に刺殺されたグダニスク市長は独自に門戸を開くと表明していたのを思い出した。ポーランドは日本語では波蘭と書き一文字表記なら波。その国の歩みを振り返るならば波蘭よりも波乱のほうが相応しい。
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2013年松井大輔:Daisuke Matsui【1981年5月11日生】がソフィアから移籍したレヒア·グダニスクの本拠地。その前年開催(ウクライナとの共催)されたUEFA欧州選手権でも使用されている。プジェミスワフ·フランコスキ:Przemysław Frankowski【1995年4月12日生】はグダニスク生まれでレヒアユース出身の生え抜き。十七歳でのトップチームデビューは2013年。開幕戦でいきなりの二得点と華々しくエクストラクラサ·デビューで脚光を浴びた松井大輔。この試合は後半から背番号10を貰った新鋭フランコスキもピッチに。レギア·ワルシャワも破って三連勝と勢いよくスタ-トした13-14シーズン。
五年後の2018年にA代表で初キャップを記録。FIFAワールド杯の代表候補に名を連ねるが最終選考では無念の落選。ロシアへの切符を逃したフランコスキが求めた新天地は自由の国アメリカ。メジャーリーグサッカー:MLSのシカゴ·ファイヤーに加入。風の街では熱烈な歓迎を受けた。
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