濡れ衣を着せられた将軍は北の巴里に
今月の渡欧に向けて、取材の申請メ一ルを送った昨日。二十四時間も経たないのに届いた返信はルーマニア協会のメディアマネージャーから。内容は「取材申請受付はまだ開始されておりませんが、近日中に開始される予定です。当連盟ウェブサイトのメディア向けページを随時ご確認ください。本件については◯◯◯◯が担当しております。」との神対応。
おそらく東欧、それもルーマニアなんて、雑な仕事ぶりだと勝手な偏見を抱いている方も多いのでは。
東欧はも今回初めて訪問するコソボと北マケドニアを含めれば
九割以上は制覇した感じ。元々がアエロフロートソ連航空や東欧各国の国営旅行者で社会人をスタートしているから思い入れがないこともない。
写真はワルシャワでプレス用に準備していただいたお弁当。FIFAワ一ルドカップ予選とあって取材陣の人数も多いから効率性重視。ポーランド風のビーフシチューは街の定食屋さんでも人気のメニュー。gulasz wołowy:グラス·ヴォウォヴィはお米との相性もよい。以前レギアワルシャワを取材した時にも馳走になったから次の写真もヴォウォヴィにする。言葉の意味は牛肉の〜。主食はパンやライ麦パン、そして米よりも食卓で見掛ける機会が多いのはじゃがいも。同国は生産/消費の両方で世界トップクラス。何の料理の皿の横には茹でたじゃがいもを添えておく。
UEFAがFIFA会長職にあるジョヴァンニ·インファンティーノ:Giovanni Infantino【1970年3月23日生】の背任行に対して刑事告発へと動いている。しかしその三ヶ月前FIFAワ-ルドカップ開幕直前である六月に、弁護士を通じて彼に法的措置を要求した人物がいる。FIFAに十三年間在籍した元UEFA会長ミシェル·プラティニ:Michel Platini【1955年6月21日生】氏がその人。2015年のFIFA会長選での妨害を主張。
十一年前FIFAは長期間に渡っての汚職が発覚して複数の幹部が逮捕される大騒動。当時会長のヨーゼフ·ブラッター:Joseph Blatter【1936年3月10日生】は辞任に追い込まれこそしたものの辛うじて逮捕だけは免れている。当時圧力をかけて権力の座から引きずり下ろしたのがプラティニだった。
欧州でのプラティニ政権発足は2007年。それまでの強豪国に偏るUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の流れを緩和させ拡散化させるマニフェストを掲げた。ランク上位国の出場枠の削減は、国内リーグの競争力向上に多少なりとも貢献したと評価していた筆者は親プラティニ派。
それに対してCL出場枠を四から三に削減されるイングランドでまず改革案に異を唱えたの当時六十五歳のアレックス·ファーガソン:Sir Alex Ferguson【1941年12月31日生】。マンチェスター·ユナイテッドの指揮を執る名将だった。
第百七十四話は、ワルシャワ国立競技場。第二次大戦でナチスに破壊されてから既に七十年。廃墟から復興再建されたワルシャワの街並みは美しいが、“北のパリ”と呼ぶのは大袈裟。
ヴィスワ川のほとりに聳える五万八千人収容。2011年11月に完成した。歴史上初となる東欧(旧共産圏)でのUEFA欧州選手権 :EURO 2012の開催に向けての新設されたが工事期間中のトラブルが続きプラティニも冷や汗をかかされた。
開催国を決定する理事の投票は、2007年4月18日にウェールズのカーディフで行われた。クロアチア·ハンガリーの共催、ウクライナ·ポーランドの共催は、そして大国イタリアでの単独開催が候補に。UEFA会長に就任したばかりのプラティニ新会長長は、公約に掲げたとおり東欧を猛プッシュ。
ウクライナ·ポーランドが有効投票十二票のうちの八票を獲得し本命イタリアは四票で敗れた。こうして歴史上初となる東欧(旧共産圏)での開催を実現させる。
その八年間の在職中の功績として2009ー10シーズン、ヨーロッパリーグ(EL)の名称及びフォーマット改正を挙げたい。イタリアの彫刻家シルヴィオ·ガザニガ:Silvio Gazzaniga)【1921年1月23日生-2016年10月31日没】がミラノのベルトーニ:Bertoni工房で仕上げ優勝杯はかつての輝きを取り戻した。
票田となった東欧各国に対する恩返しともいえるレギュレーションの変更も実施した。CL予備予選の段階でレアルマドリードと対戦しなければならなかったポーランドの強豪ヴィスワ·クラクフにとって本戦出場は夢でしかなかった。
あの日あの時は■2015年5月27日UEFAヨ一ロッパリ一グ決勝セヴィージャ対FCドニプロ。スタジアムのファサードは、ポーランドの国旗をイメージして銀色と赤色のツ一トン。塗装されたメッシュはスペイン製。
実は生のプラティニを遠目ではあるが目視したことがあの。
る。’85年のトヨタカップ来日時ではない。旧国立でのトヨタカップ観戦デビューは大雪の’87年。将軍が枯れ芝のピッチに寝そべった二年後である。およそ50メートル先に視線は釘付けになった。・・・白黒の縦縞ユニフォームが似合ったスリムな体型は、年相応の良い割腹に変わっていた。三十年の歳月が過ぎているのだから致し方ない。それにしてもウクライナの伏兵ドニプロがここまで勝ち進んでくるとは。プラティニも御満悦だが同じ場所で時間を共有できたのだから感慨深い。三月にウィーンで開催されたUEFA総会では無投票再選を果たしたばかりだったのだが…
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カップ戦篦ファイナルは互いに慎重になり膠着状態で無失点のまま時間が経過するのがセオリ一。
ところが7分右サイドからのクロスをニコラ·カリニッチNikola Kalinić【1988年1月5日生】が頭であわせて先手を取ったのはドニプロ。すると28分ポーランド人のグジェゴシ·クリホヴィアク:Grzegorz Krychowiak【1990年1月29日生】がエリア内の密集で鋭く右脚を振り抜いての同点弾、三分後スルーパスに反応したカルロス·バッカ:Carlos Bacca 【1986年9月8日生】が相手キ一パ一も交わしての逆転弾。この日のセヴィージャは上下とストッキングまで赤で統一。そして真紅に染まったスタンドが瞬間炎のように猛盛る。それでも前半終了間際、ドニプロのルスラン·ロタン:Ruslan Rotan【1981年10月29日生】がフリーキックのチャンスを逃さず右足で直接ネットを揺らしす。相譲らずハ一フタイムに。
ビトーロ:Vitolo【1989年11月2日生】のスルーパスに抜け出したバッカがダイレクトでゴール右へ突き刺して決着。
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二得点のコロンビア人ストライカーは、12年年明けにクラブ·ブルッヘへ加入。雑誌の見開きは一年後、2013年1月27日にヤン·ブレイデルスタディオンで開催されたKAAヘントとの試合で撮影されたもの。前年欧州での初得点を決めたのも4月15日のKAAヘント戦(1−0で勝利)。シ一ズン最終戦のKVコルトレイク戦では二得点を挙げてCL2012-13出場権獲得の立役者に。
スペインでは三つのクラブにACミランでもプレーしたバッカ
も一昨日四十歳の誕生日を迎えた。ワルシャワのピッチに立った多くの戦友が現役を退く中、今季は母国の名門デポルティーボ·カリに加入した老而不衰のストライカー。
2013年5月UEFAは、EL2015-16シーズン優勝チームCL2016-17の(プレーオフ予選から)出場権を与えると発表した。この提案は歓迎され実現は前倒しされたことで、この日の勝利者セヴィージャは翌季の出場権をボ一ナスとして獲得している。
CLグループ三位のチ一厶が、ELベスト32に移るレギュレーション。「失敗したチームへの罰」がファーガソン監督の発言にプラティニ会長が怒りを露わにしたのは2011年。結局ファーガソンが釈明する一連の茶番劇。ELの決勝トーナメントを勝ち抜けば来季はCLへと帰還できる「正」のベクトルが確立され循環型の健全な関係が構築されたことで一件落着した。EL推奨派としては、優勝チームだけでなく、上位四チームまでにCL予選の出場権を与えるぐらいのベクトル肥大化、大盤振る舞いを希望してやまない。
騒動から二年後、智将のマンチェスター·ユナイテッド勇退時にUEFA会長は最大の賛辞を贈り、また両大会において準々決勝終了時点でイエローカードの累積を一度リセットするUEFAの規定変更を、自身の経験から支持している。ワルシャワでの試合前、老紳士は僅かな時間であるが、ピッチの片隅に足を踏み入れたらしい。二人がお揃いの赤いネクタイをしていたが、残念ながらコーチング·アンバサダーの姿を見つけることはできなかった。
2011年にブラッターからプラティニへ支払われた金額は二百万スイスフラン。日本円にして約3億3000万〜4000万円のコンサルティング料に対して検察側は詐欺や背任などの罪として禁錮刑等を求刑したのが2015年。この汚職騒動で半年後にFIFA倫理委員会から八年間の活動停止処分を受けるなどとは思いもしなかったが親プラティニ派の自分は納得いかない。「将軍は嵌められた。」
昨年の2025年8月28日にスイス検察当局が上訴しないことを発表し、長年の司法闘争が終焉を迎えた。’22年の一審に続き控訴審でも退けられ決着。判決過去の正当な顧問活動に対する「紳士協定」に基づく極めて正当な報酬の支払いであると判断された。
プラティニが辞任を余儀なくされた結果、事務総長から会長へと昇進。漁夫の利を得たインファンティーノが’16年にFIFA会長の座にまで駆け上がる
冒頭で述べたとおり、プラティニは弁護士に刑事・民事訴訟を起こすよう指示している。この約十年間もの騒動で被った損害はFIFAに責任があるとして、会長候補から外された際の関係者への刑事捜査を要求。 訴訟ではインファンティーノ氏をはじめ、2007年から2016年までFIFA法務部長を務めた元副事務総長マルコ·ヴィリガー:Marco Villiger【1975年3月14日生】。このスイス人弁護士は2018年にFIFAを退職している。
また2013年から2016年にかけて、FIFAの独立監査·法令順守(コンプライアンス)委員会の委員長を務めたのはドメニコ·スカラ:Domenico Scala【1965年生】氏。2016年、新会長に就任したインファンティーノの方針(独立委員会の権限を制限する決議など)に強く抗議し、委員長を辞任したイタリア人も対象に。他にもスイス司法当者の実名が。更に損害に対する賠償も要求しているのだが大会目前準備に追われるとして、FIFAとインファンティーノ氏はノ一コメント。
