133〗MSV Arena / デュイスブルグ

当時の陽かげりの街からデュイスブルクの陽のあたる街への復活は二十一世紀まで待たなければならなかった。創設半世紀を迎えるにあたり欧州評議会は’99年「欧州の遺産」キャンペーンを加盟各国に呼び掛けることに。ノルトライン=ヴェストファーレン州政府からの要請を受け協会が進めたのは各地域とのネット-ワ-クを構築して産業遺産を観光ブランド化するアイディア。青いバナナからは英蘭、そしてベルギーの三ヶ国が賛同を示し2001年12月のデュイスブルクでの会議を経て欧州評議会に認可された。
第話は、MSVデュースブルクの本拠地MSVアレーナ。スタジアムが素晴らしいだけに三部リーグから抜け出せない現状はファン・サポーターにとって歯痒い。
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イマーヌエル=カント公園では、ボールを蹴る少年達の輪に加えてもらった。右から二人目の少年はMSVのレプリカ姿。高校生年代だけでなく、男女入り混じってボールを蹴ってはしゃぐ中学生も。課外授業なのか教員の言葉に耳を傾ける小学生達の振る舞いからも、教育水準は高さの一端が垣間見れる。これは08年の訪問時に撮影したもの。
この街のシンボルは1993年に完成したファウンテン・ライフセイバー(上写真)。スイスの巨匠ジャン・ティンゲリー:Jean Tinguely【1925年5月22日-1991年8月30】】作の黒い立体に、ニキ・ド・サンファル:Niki de Saint Phalle1【1930年10月29日-2002年5月21日】の色鮮やかな作品を乗せた夫婦合作。
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あの日あの時は◼️2009年5月4日ブンデスリーガ二部30節MSVデュイスブルク対SpVggグロイター・フュルト。スコアレスで前半終了。後半六分ホ-ムチ-ムにフリーキックの好機。キッカーはこの年二月にハンブルガーSVから貸し出されていたアニス・ベン=ハティラ:Änis Ben-Hatira【1988年7月18日生】。前年までドイツU19代表でプレーした若武者が蹴ったボールは見事ネットに突き刺さり、その後一点を追加したデュイスブルクの勝利。ベン=ハティラにとってMSVアレーナでの初得点。シ-ズン終了後ハンブルクに戻り、UEFAヨーロッパリーグ予選三回戦のランダースFC戦を経験したものの八月末、デュイスブルクからのラブコ-ルに応えベン=ハティラは再びMSVデュイスブルクに期限付きの移籍を果たす。