日本中が涙色に染まった六月末日 八年前にベルギーが有終の美を飾った水と芸術の都
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日本代表はアディショナルタイムの失点によりベスト32で大会を去った。試合前、楽観視ではなくても「セレソンは’02年の日韓共催大会以降、世界一の称号を手にしていない。」「優勝五回は過去の話。今のメンバーとは関係ない」「南米予選五位通過が弱体化を証明している。」など、日本を応援する気持ちは痛い程理解できるが、ちょっと「舐めすぎかな」と思える発言がSNSで散見しており気はになっていた。
ロシア軍が国境を越え二次世界大戦以来最大の侵攻から既に四年。その四年前には「サッカーへの愛情は言葉や主義主張を超え、世界を一つのチームにまとめる」と宣言していたのがウラジミ-ル·プーチン:Vladimir Putin【1952年10月7日生】。彼の地元はロシア第二の都市サンクトペテルブルク。政治·経済の中心モスクワと比較するならば、1990年に登録された世界文化遺産の街並みに目を奪われる文学・音楽・美術の都。個人的には初訪問時のレニングラードの名前がしっくりくる。ピョートル大帝:Pyotr I【1672年6月9日生-1725年2月8日没】が好んだドイツ語風の十文字は長過ぎて舌を噛みそう。西野ジャパンを下したベルギーがイングランドを退けて三位の座を掴んだスタジアムとしても記憶に残る。
写真はモスクワへ戻る航空券とUEFAチャンピオンズリーグのスポンサー企業ハイネケンの空瓶。マルメFFとの試合を取材した翌日のモスクワ行きはS7航空。利用したのはこの時が初めて。
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同市郊外にあるピスカリョフ墓地で凄惨な独ソ戦の史実には絶句した。カニバリズムに至るまでには、靴やベルトなど革製品は煮て、家具や膠を煮こごりにして飢えをしのいだレニングラード市民。木材と相性の良い膠は現在でもヴァイオリン制作や修理で用いられる。新潮社から発刊された『戦火のシンフォニー:レニングラード封鎖345日目の真実』《ひのまどか著》を読んで衝撃を受ける。包囲戦の極限下で演奏されたのはドミートリイ·ショスタコーヴィチ:Dmitri Shostakovich【1906年9月25日生-1975年8月9日没】の交響曲第七番だった。九百日に及ぶ地獄にを耐え抜くと、ソ連軍の猛反撃が始まる。1945年4月、二週間に及ぶ激しい市街戦が繰り広げられ、占領されたのがウィーン。画家、建築家を目指したアドルフ·ヒトラー:Adolf Hitler【1889年4月20日生-1945年4月30日没】は二十二歳までの五年三ヶ月をこの街で過ごした。音楽家志望の友人はアカデミーに合格。貧困·屈辱·妬みと恨みを胸に去ったアドルフ青年。まさかこの地が狂気の独裁者を生み出すことになるとは。
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UEFAチャンピオンズリーグの試合を初めて観戦したのが2013年12月12日。場所はウィーンのエルンスト·ハッペル。ホームチームに1-4の逆転負けをくらったのはゼニト。勝ち点6にとどまったが同日二位を争うポルトもアトレティコに敗れたから幸運に救われてのベスト16進出。この日スタンド上段に陣取ったゼニトサポーターが下段に発煙筒等を投げつける無法ぶり。機動隊のような警察官との衝突を目だけでなくコンパクトフラッシュに焼き付けたのがこの写真。何か凄いことになってるのでゼニトサポーターに近づこうとして、警官にお咎めをくらう。おそらくドイツ語で「お前は馬鹿なのか?」みたいなことを言われたのだと思う。
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