念願の新スタジアム完成 受け継がれたレジェンドの名前
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’50年代に入るとマジック·マジャール旋風が欧州に吹き荒れる。その中心となるヒデグチ·ナーンドル:Hidegkuti Nándor【1922年3月3日-2002年2月14日】は、’56年のハンガリー動乱の影響で主力の大半が国外へ亡命する中、国内に留まりMTKでのプレーに拘る。’58年に現役を退くとそのまま同クラブの監督に就任しており、現在の新スタジアム完成以降もその名前が受け継がれている功労者。
60~65億フォリントの予算を費やして約五千人収容規模=UEFAスタジアムカテゴリー3基準の新スタジアム建設が発表されたのは2016年。UEFAの基準を満たすには、四千五百の一般席と二百十五十のVIP席が必要。MTKの財政規模で新スタジアムはできるはずもなく工事の施主はハンガリー政府。13-14シーズンが終わると旧スタジアムの取り壊し作業にかかり、ヘルメットを被った工事業者が連日足を運んでいた。
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近代的なスタジアムに様変わりしプレス·ジャケットもこのようにオリジナルデザイン。これは格好いいと着用して鏡を見たら上下が逆。笑顔で女性スタッフが着せてくれたから嬉しいやら恥ずかしいやら。
あの日あの時は◼️2009年8月3日ネムゼティ·バイノクシャーグ1部第二節MTKブダペシュト対ブダペスト·ホンヴェードFC。キックオフからアクセル全快。六分にMTKが先制、四分後にアウェーチ-ムが追い付く目まぐるしい展開。’22分にラースロー·レンチェ:László Lencse【1988年7月2日生】のゴ-ルで再び突き放す。
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試合はそのままスコアは動かず終了のホイッスルでダ-ビ-に勝利。攻撃の主役がレンチェなら守備で貢献したのスタメンのアダム·ピンテル:Adam Pinter【1988年6月12日生】。共に当時二十一歳のロンドン五輪世代。同月のU21欧州予選ウェ-ルズ戦では後半頭から途中出場していた。レンチェは三ヶ月後のイタリア戦でアシスタントを決め勝利に貢献している。二人を撮影したのは十年後、2018-19最終節のホンヴェド戦だから既に貫禄充分。
現在はスパイクを脱ぎ後進の育成に力を注いでいるこの世代。ドンビは現在デブレツェンVSCのコーチに就任。ピンテルもMTKで同職を務め、自身の経験を後進の育成に役立てている。
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ヨジェフ·カンタは’98年MTKの育成組織に加入、’02年に提携クラブのボーデイクFC(二部)に貸し出されると十代にもかかわらず攻撃を牽引。カップ戦でも八強まで勝ち残り、準々決勝ではフェレンツヴァロシュとの対戦を経験している。武者修行を終えると2004年に晴れてMTKトップチームとの契約書に署名。開幕戦でいきなり先制点の直接フリーキックとコーナーキックから追加点で1G1Aの活躍。’21年4月のフェヘールヴァール戦途中交代でベンチに退くまでの17年間をMTK一筋で過ごした。計428試合に出場し139得点119アシストの偉大なる足跡。ボスマン判決以前なら兎も角、以欧州一部リーグのA代表経験者で一度も移籍をしていないフットボーラーは中々頭に浮かんでこない。どれぐらい凄いかといえば、初恋の幼馴染と十代で結婚して一度も浮気しなかった旦那さんぐらい凄い。そのカンタも引退と同時にU19チームで指導者としての道をスタート。’22年からはリザーブチームの監督に就任しているから将来トップチームまでの路線は既に引かれている。彼が指揮する姿を撮影するためブダペストを訪問する日もそれほど遠い未来ではないかもしれない。現在のクラブ会長は1999年から2002年までスポーツ大臣を務めた欧州議会議員タマーシュ·ドイチュ:Tamás Deutsch【1966年7月27日生】氏。入閣当時は同国五輪委員会の副会長を兼任していた彼もユダヤ人。
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