ユダヤのクラブを創設したのは後の国際アマチュアレスリング連盟会長 偉人の命日が不明の理由は
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MTKブダペストの創設は1888年、中産階級と一部の富裕層=ユダヤ教徒が体操とフェンシング部門を設立。1901年に立ち上げたフットボール部門も三年後には国内制覇。惜しむことなく私財を投じたアルフレッド·ブリュル:Brüll Alfréd【1876年12月10日–1944年没】会長の尽力でMTKは強豪クラブへと成長する。
1905年4月2日ブリュルに捧げる初勝利はウーイペシュトとのダ-ビ-。その後三十五年間に渡り、MTKとそのプロチームであるハンガリアFCの会長を務めるのだがクラブは政治的な理由で一度は解散を余儀なくされる。ハンガリア大通りのスタジアム建設に十五万五千クローネの私財を投じ、受け取った株式もクラブに寄付しているから完全無償の善意。現在はがハンガリーの通貨フォリントでも1918年まで用いられていたのは、オ-ストリア発行のオーストリア=ハンガリー帝国発行のクロ-ネ紙幣。自身もMTKチームの熱狂的なサポーターであったイシュトヴァーン·バルチ:Bárczy István【1866年10月3日生-1943年6月1日没】ブダペスト市長の協力もあって、MTK初の専用スタジアムが1912年3月31日、遂にお披露目を迎える。開幕戦の相手は宿敵フェレンツバロシュ。ダ-ビーは1-0の勝利で新スタジアムは歓喜に満ち溢れた。ブリュル氏は、1924年のパリ五輪開催に向けて国際アマチュアレスリング連盟会長に選出された人物。水泳とレスリングの近代的なルールと競技システムを創設したメンバーの一人でもある。この偉人の忌日が不明なのはアウシュヴィッツでその生涯の幕を閉じたから。狂気の独裁者はいつの時代も無意味な悲劇を生み出す。
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写真は2008年に撮影したブダペスト東駅:Keleti。国際列車が発着するターミナル駅は旅行者や若者が集まり活気ある七区と隣接する。中世に定住したユダヤ人が社会に深く同化することで経済、科学、芸術の分野でリ-ダ-シップを発揮し発展したハンガリー。これは1867年のアウスグライヒ以降、法的な平等が認められていた歴史の賜物。欧州におけるユダヤ文化の中心地の一つであった時代を七区=旧ユダヤ人街にある巨大なシナゴーグが今に伝える。
二次大戦終戦間際、親ナチス派の矢十字党によって、多くのユダヤ人がドナウ川の岸辺で射殺されたのが《ブダペストの悲劇》。それでもブダペストには中東欧で最大規模のユダヤ人コミュニティが存在して約十万人前後が暮らしているらしい。ドハーニ街シナゴーグは現在も信仰と文化の拠点として機能している。
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