第124話はヒデグチ·ナーンドル·シュタディオン。MTKブダペストの本拠地を初めて訪問したのは、2013年6月1日シーズン最終節。老朽化で取り壊された旧施設で初めてのハンガリーネムゼティ·バイノクシャーグ一部を堪能。スマフォではなくガラケ-を愛用していた十三年前。試合終了後、宿に戻りPCを開く。「さすがに知っている選手はいないだろう」と思っていたのだが・・・・・・・・・いた。この日MTKブダペストの対戦相手はデブレツェンVSC。
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鄙びたスタジアムで脳内がフラッシュバック アトランタ五輪の閃光が現役とは
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アウェー側ベンチに控えるのが背番号七はティボル·ドンビ:Tibor Dombi【1973年11月11日生】だった。この時三十九歳の大ベテランが、現役のプレ-ヤ-でいることに驚き鮮明に記憶がフラッシュバックされる。1996年7月25日オーランド·シトラスボウルスタジアム。最終戦を前に敗退が決定していたハンガリー五輪代表。それでも金メダリストとの初戦は0-1、ブラジル戦でも一度は同点に追いつくなど、厳しい欧州予選=U21選手権を勝ち抜いてきた看板に偽りなし。ツ-トップの右側で赤いユニフォームの背番号七ドンビは、’94年にA代表デビューした圧倒的なスピードが持ち味。所属するジュビロ磐田では右にポジションをとる鈴木秀人:Hideto Suzuki【1974年10月7日生】を左ストッパ-に。そして左が本職の服部年宏:Toshihiro Hattori【1973年9月23日生】をボランチに配置していた日本五輪代表。このハンガリー戦ではフェアプレーで世界から称賛される日本も後半鈴木と服部共に警告を受けているのだが何れもドンビの突破への対応。磐田黄金期を支えた守備の要二人が手ならぬ足を焼いた快速は脳裏にしっかり刻まれていた。ユトレヒトやフランクフルトでもプレーした後、’02年以降は母国の古巣デブレツェンに復帰してまさか現役を続けていたから脱帽した。
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写真のコーナーキッカーはこの試合で最も印象に残ったMTKの十九番。主将章を巻いたゲ-ムメ-カ-は自ら得点も決めてチ-ムを鼓舞した。四日後ギョ-ルETO-Parkで行われたクウェートとの国際親善試合でも同ポジションを任されてスタメン。ヨジェフ·カンタ:József Kanta【1984年3月24日生】にとっては2007年2月のラトビア戦以来六年ぶりとなる国家代表の選手としての晴れ舞台となった。
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