78〗Dalymount Park / ダブリン

目指すはダリーマウントパーク。ゴシック様式の建築·装飾で視線を惹きつけるのは北ダブリンの重要なランドマーク。ニューリー(北アイルランド)から取り寄せた自然石で外壁を施したフィブスボロの聖ピータース教会が隣接する。十九世紀初頭、治安が悪く多くの貧困家庭が暮らすフィブスボロ。1826年に設立されたカトリック学校の最上階を礼拝堂に改築して教会に。1907年には尖塔の建設に着工する。イプスウィッチタウンFCと同姓同名のハリー·クラーク:Harry Clarke【1889年3月17日生-1931年1月6日没】が手掛けたステンドグラスは、初期の傑作の一つ。「聖心の礼拝」と題された三枚組の作品は1919年に制作され、礼拝堂に組み込まれた。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

Dalyerの愛称で知られるダリーマウント·パーク。あくまでGoogle マップの日本語表記に準ずるが、現地の方達は「デイリー」と発音。日本でも新聞やコンビニで身近なデイリーほど、はっきりイを発音していないがディリーとも違う。そもそも海外の言語を正確な翻訳や日本語表記しようとしても無理がある。
アイルランドの国旗は緑色がローマカトリック、オレンジはプロテスタント、中央の白色は永遠の休戦を意味してこのデザインなのだとか。あの日あの時は■1983年10月12日UEFA欧州選手権予選グル-プ7 アイルランド代表対オランダ代表
四月スペインに敗れアイルランドは予選敗退が確定。直接対決を残すオランダは、まだ逆転首位の可能性を残している状況。それでもダリーマウント·パークは三万五千人の大観衆で熱気で溢れていた。グリーンとオレンジがピッチ上で対峙すると、大声援に背中を押されてホ-ムチ-ムが前半二得点でリ-ドする展開。しかし、後半ルート·フリット:Rudi Gullit【1962年9月1日生】のゴ-ルで反撃の狼煙をあげると、右コ-ナ-からマルコ·ファン·バステン:Marco van Basten【1964年10月31日生】が頭で決めて同点に追い付く。そして前線で溜めをつくったファン·バステンを追い抜いたフリットが右足でフィニッシュ。奇跡の大逆転を演じた若きオランダの勢いは翌月の天王山でスペイン相手でも止まらない。2-1の勝利で残り一試合を残して勝ち点で並ぶ。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

師走に組まれた両雄のマルタ戦。アムステルダムで5-0の勝利。オランダが優位に立ったと思われたのも束の間、四日後セビージャでは12-1の酷い点差に。前半を終えた段階のスコアは3-1だったからマルタが大健闘、しかし後半に潜んでいたのは悪夢の現実。ゴ-ルラッシュの幕が開くと残り六分で十二点目が入り、得失点差も十六で同数に。得点数で勝るスペインが本選に駒を進めると翌年決勝のフランス戦まで駆け上がる。これにはオランダのサポ-タ-は嘆き怒り狂ったものの過酷な二連戦を強いられたマルタ代表を誰が責められるだろう。
すべて不平等な日程を組んだ運営の責任。これを切っ掛けにUEFAは、グループリーグの最終戦は同時刻開催、そして同勝ち点ならば直接対決の結果優先へとレギュレ-シヨンの変更へと舵をきる。
◇◇◇◇◇