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現在ベルギーの人口分布はブリュッセルと隣接したアンデルレヒト&スカールベーク両市一帯が首都圏最大エリアを形成している。ここに肩を並べるのがアントウェルペン州のアントワープ周辺込みで五百万人を越える大都会。以下ヘント、シャルルロワ、リエージュ、ブルッへと三百万人以下の都市が続く。
オランダに近過ぎるという理由でアントワープが選外となるのは事前に想像がついた。それでも地元市民が受けた精神的なダメージは如何程のものか。そのアントワープにあるボサイル·スタディオンが第 話。中央駅から5番トラムで十駅十三分とアクセスは文句のつけようがない。
1880年に創立されたクラブの競技種目は英国のお家芸クリケット。その八年前に発表された『フランダースの犬』の舞台がアントワープ近郊であると知っていても作者をベルギー人と勘違いされている方も多いはず。女流作家のウィーダは、イギリスの女性作家。ウィーダ: Ouida【1839年1月1日生-1908年1月25日没】の本名はマリア·ルイーズ·ド·ラ·ラメー。海を隔てた英国との縁も深いベルギ-。1928-29シーズンにスタジアム所有者との紛争が勃発、一時的ではあるがベールスホットの競技場への移転を余儀なくされた事がある。当時英国=商業スタイルのプロフェッショナリズムの採用を強く主張したスタジアム側と1923年アンリ·エレバエル:Henri Elebaers【1883年2月20日生-1948年8月2日没】会長が復職し連邦規則に従いアマチュアリズムを継承する非営利団体であるクラブ側の意見が真っ向から衝突しての騒動だった。
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旧市街の東約六キロの距離にある住宅地ドゥールネへと移転したのは1923年11月1日。デヘル(地獄)ファン·ドゥールネと呼ばれたのが定期的に行われたベルギーとオランダの国際試合。これは懐かしの日韓定期戦同様、両国民の感情が爆発し荒れに荒れるのは毎度の事。公式サイトによると1950年のベルギー-オランダ戦は45,432人の超満員。6年後に総収容人数は約六万人まで拡張工事が施されている。このダービー·オブ·ザ·ロー·カントリーズは、1977年にオランダの勝利で幕を閉じ、アントワープ市は ’80年代と’90年代に安全を優先して数回閉鎖し部分的に改修を施している。
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前述のユーロ落選を経て2001年、南側は取り壊し大規模なリノベーションに着工。2013年から15年にかけて、メインスタンドのAVTトリビューンの改修、17年には5600席を設けた5階建てのグランドスタンドが誕生した。
ロビー階にはショップ、ダイアモンドボックスとプレスルームにドレッシングルームなど選手専用施設も充実。一階はサポーターゾーン、二階はオープンVIPエリア、三階には七百人規模の宴会場レストラン、四階ロッジの上には報道関係者専用のフロアが用意されている。