イスタンブールで一番有名な日本人 Miyazakiの名は永遠に
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香川真司:ShinjiKagawa【1989年3月17日生】の加入は2019年。スタジアムの壁面にはこんなペイントが施されていたから同胞としては頬も緩む。然しここのスタンドに初めて横断幕で日本人の名前が掲げられたのはKAGAWAではないことをどれだけの日本人が知っているのだろうか。
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東日本震災が起きた2011年の10月トルコ東部でも大地震が発生している。『Çekik gözlü japon kardeşim Dr.MIYAZAKI 』の文字。右横には日の丸とベシクタシュのサポーター集団《チャルシュ:Çarşı》のロゴマーク。
故宮崎淳:Atsushi Miyasaki【1970年4月29日生-2011年11月10日没】氏は大分県出身。大東文化大法学部卒業。97年に卒業した大学院では紛争解決を専攻していた。その後英国留学も経験。ランカシャー大学で専攻したのは平和学だった。
大分市役所、大分県庁にも勤務していた公務員が国際協力、特に緊急支援に自身の経験を役立てるべく2011年8月から都内のNPO法人難民を助ける会に転職する。東京本社で研修を開始、9月1日に正職員となり東北震災の支援復興に携わる。そして同年10月23日にトルコ東部ヴァン県ヴァン市を震源地とする巨大地震のマグニチュードは7.1。翌月現地で支援活動中の悲劇。余震とみられるマグニチュード5.7の地震がトルコ東部を襲い、邦人職員二名が宿泊していたホテルも倒壊してしまう。女性職員は救出されたが宮崎氏は残念ながらヴァン市内の病院で鬼籍に入った。
イスタンブール市の防災施設はアツシ·ミヤザキ交通教育・防災公園と改名された。郊外のサルイェル区には、宮崎氏の名を冠した日本庭園Atsushi Miyazaki Parkがある。自治体が、現地での献身的な救助活動を称えて2013年10月に公園と胸像が造られた。本来ならば宮崎氏の胸像の写真を載せたいところではあるがべシクタシュ区より北側に行ったことがない。取り敢えず胸像なら誰でもよいかとトルコ建国の父、ムスタファ·ケマル·アタテュルク:Mustafa Kemal Atatürk【1881年5月19日生-1938年11月10日没】の胸像でお茶を濁す。スタジアムで撮影したのだが背後のプレートには1947年5月19日に開館とトルコ語で刻まれていた。
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トルコ国民も匙を投げる状況で遠い異国から助け舟を出した勇気ある行動は後世に語り継がれ、崇高なる魂が逝去を悼む人々へと受け継がれるならば宮崎氏も本望か。
さて気がかりなのは熊本地震の被害状況。アメリカ、イタリア、ブラジル、パレスチナなど二十三ヵ国の地域や、国連、国連大学からお見舞いのメッセージか届く中で支援表明を真っ先に掲げたのは台湾。その言葉に実行が伴うのは十五年前ハンドルを握って体感している〖第百六十一話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:辻美咲