11日の当日は徒歩数分の距離にある息子の小学校に足を運んでから、家内を迎えに浦安から千葉市駅前まで湾岸線車を走らせた。信号が機能していない交差点に猛スピ-ドで突っ込んでくる愚か者がいるから、びびりながら一次停止を繰り返す。およそ五時間かけての到着。帰りは疲れて途中ファミレスで休憩してから朝方生還。これだけ時間かければ東京からのフライトでも欧州に着ける。
サッカ-の試合でも愚か者が出現。韓国の全州ワ-ルドカップスタジアムでのセレッソ大阪戦。全北現代サポーター男性(三十歳)が「日本の大地震をお祝います」と横断幕を掲げる。この“痛過ぎる行為”には唖然とするも韓国人全ての民度が低いわけではない。Kリーグと全北現代が各々、日本側(リーグとクラブ)に謝罪をしており、この時ばかりは多くの韓国サッカーファンが激怒していたのを覚えている。同男性は十年間、同スタジアム出入り禁止の処分が下されたのだが、四十歳になった彼は現在「人」として更正しスタジアムに足を運んでいるのだろうか。
◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇
イスタンブール新市街の北東郊外ベシクタシュ区にある本拠地は黒鷲(Kara Kartal)の巣窟と敵サポーターが恐れたイニョニュ·スタジアム。スタンド最上段から眺める宮殿とボスポラス海峡の風景は、欧州でも屈指の美しさに違いなく素直に感動した。
2013年に取り壊されたイニョニュは変わり新たな歴史を刻むテュプラシュ·スタジアムが第161話。完成した2016年には試合終了後にスタジアムの外で自動車爆弾が爆発する騒動もあったのだが、この国らしいと言ってしまえばそれまで。昨季のUEFAヨ-ロッパリーグ決勝戦の会場で使用されたのは記憶に新しい。アストンヴィラがフライブルク3-0で退けて英独対決を制した。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
クラブの象徴である黒鷲のモニュメント。足元にはクラブのエンブレムや歴史を記念するプレートが設置され、サポーターや観光客の写真撮影スポット。おっちゃんのハンドサインは人差し指と小指を立てて、鷲の羽の形を表現するサポーターにとってはお馴染みのポ-ズ。消してブレーキの壊れたダンプカー=スタン·ハンセン:Stan Hansen【1949年8月29日生】の真似ではない。
FIFAワ-ルドカップの余韻に浸る間もなく公式戦が幕を明け激しい火花を散らす真夏の欧州。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
あの日あの時は先週◼️2026年9月13日UEFAヨ-ロッパリーグ2次予選1stレグ/ベシクタシュJK対FCミッティラン。開始十五分のレッドカ-ド、デンマークから乗り込んだアウェーチームには不運な判定。右サイドのヴァーツラフ·チェルニー:Václav Černý【1997年10月17日生】がオルクン·コクチュ:Orkun Kökçü【2000年12月29日生】に強めのパス。コクチュはペナルティーエリアの手前から狙いをすまして右足を振り抜くと、ボールを見事にゴール右上隅へと突き刺さった。スコアは動かず明日の第二戦はドローで勝ち抜けとなるが果たして。
チェルニーはチェコ人ながら高校年代の13年から六年間アヤックスで育ったウインガ-。写真は古巣と対戦した23年にエ-スヘンデで撮影。昨季はリーグ戦三十試合に出場。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
連敗でグル-プリーグ敗退も最終戦でホ-ムアメリカに一矢を報いた北中米大会のトルコ代表。コクチュのシュ-トをタップインしての逆転ゴ-ル。一度は追い付かれたがアディショナルタイム八分で勝ち点を獲得する意地を見せた。
オルクン·コクチュはハーレムの出身。フローニンゲンのユースからはフェイエノールト·ロッテルダムに移り十六歳でトップデビュー。2023年シ-ズン途中でアルネ·スロット監督は二十二歳月の若者を主将に指名している。六シーズンぶりの国内制覇へと導いている。第話に登場しているハ-レムは1960年代以降にトルコからの多くの労働者が移住しており、南側のメールウェイク(Meerwijk)地区では縦長のモスクを見掛けたし、安く肉を食べる選択肢はないのでケバブを注文した。ムスリム系でモロッコ人も多くコミュニティが存在する。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
このフットボールに関してはオランダ人の二人に今季はサリフ·エズジャン:Salih Özcan【1998年1月11日生】がボルシア·ドルトムントから加入。生まれも育ちもケルンで、U21代表まではドイツ代表の主力としてプレー。準決勝のオランダU21戦、決勝のポルトガルU21戦は連続でスタメン出場。ヴェネチツィアムラーノ島の硝子職人がこさえた美しい優勝トロフィーを手にしている。契約満了移籍金無しでこの大物ミッドフィルダーを獲得できたのは大きい。昨夏は中村敬斗に対してのオファーをレキップが報じていたがチェルニ-とは反対の左サイドに中村を配すことができれば、国内どころかELでも台風の目に成りかねない。スタッドランスが高過ぎる移籍金を下げる気があるのか。
このメジャーリ-グの中堅からマイナーリ-グの王者まで群雄割拠、どのクラブが優勝するのか予想がつくはずもないUEFAヨ-ロッパリーグ。昨季は四強の椅子の半分を英国勢が、残りはポルトガルのSCブラガとドイツのフライブルクがファイナルへの切符を争った。
ベシクタシュJKのユース出身で注目していたのがデミル·エゲ·ティクナズ:Demir Ege Tıknaz【2004年8月17日生】。
写真の通り193cmの長身、豊富な運動量にリーチを活かしたボール奪取力と正確なパス配給にも定評のあるセントラルミッドフィルダー。昨年A代表デビューも果たしており、冬の移籍市場でSCブラガが獲得。べティスとのELベスト8ではセカンドトップで起用され逆転のPKを獲得。準決勝のフライブルクとの初戦ではトリプルボランチの一角でゴ-ルを決めたのだが。
香川真司:ShinjiKagawa【1989年3月17日生】の加入は2019年。スタジアムの壁面にはこんなペイントが施されていたから同胞としては頬も緩む。然しここのスタンドに初めて横断幕で日本人の名前が掲げられたのはKAGAWAではないことをどれだけの日本人が知っているのだろうか。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
東日本震災が起きた2011年の10月トルコ東部でも大地震が発生している。『Çekik gözlü japon kardeşim Dr.MIYAZAKI 』の文字。右横には日の丸とベシクタシュのサポーター集団《チャルシュ:Çarşı》のロゴマーク。
故宮崎篤:Atsushi Miyasaki【1970年4月29日生-2011年11月10日没】氏は大分県出身。大東文化大法学部卒業。97年に卒業した大学院では紛争解決を専攻していた。その後英国留学も経験。ランカシャー大学で専攻したのは平和学だった。
大分市役所、大分県庁にも勤務していた公務員が国際協力、特に緊急支援に自身の経験を役立てるべく2011年8月から都内のNPO法人難民を助ける会に転職する。東京本社で研修を開始、9月1日に正職員となり東北震災の支援復興に携わる。
そして同年10月23日にトルコ東部ヴァン県ヴァン市を震源地とする巨大地震のマグニチュードは7.1。翌月現地で支援活動中の悲劇。余震とみられるマグニチュード5.7の地震がトルコ東部を襲い、邦人職員二名が宿泊していたホテルも倒壊してしまう。女性職員は救出されたが宮崎篤氏は残念ながらヴァン市内の病院で鬼籍に入った。
イスタンブール市の防災施設はアツシ·ミヤザキ交通教育・防災公園と改名された。郊外のサルイェル区には、宮崎氏の名を冠した日本庭園Atsushi Miyazaki Parkがある。自治体が、現地での献身的な救助活動を称えて2013年10月に公園と胸像が造られた。本来ならば宮崎氏の胸像の写真を載せたいところではあるがべシクタシュ区より北側に行ったことがない。取り敢えず胸像なら誰でもよいかとトルコ建国の父、ムスタファ·ケマル·アタテュルク:Mustafa Kemal Atatürk【1881年5月19日生-1938年11月10日没】の胸像でお茶を濁す。スタジアムで撮影したのだが背後のプレートには1947年5月19日に開館とトルコ語で刻まれていた。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
トルコ国民も匙を投げる状況で遠い異国から助け舟を出した勇気ある行動は後世に語り継がれ、崇高なる魂が逝去を悼む人々へと受け継がれるならば宮崎氏も本望か。
さて気がかりなのは熊本地震の被害状況。アメリカ、イタリア、ブラジル、パレスチナなど二十三ヵ国の地域や、国連、国連大学からお見舞いのメッセージか届く中で支援表明を真っ先に掲げたのは台湾。その言葉に実行が伴うのは十五年前ハンドルを握って体感している〖第百六十一話了〗
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆
⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:辻美咲