ガレリウスのロ-マがササン朝ペルシアに勝利 凱旋門は歴史を語る
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エーゲ海のテルマイコス湾に面するギリシャ第二の都市テッサロニキ。ローマ帝国、ビザンティン帝国、そしてオスマン帝国時代の名残を感じさせる独特の街並。但し1917年の大火で焼失してしまい再建されて現在は近代都市に。世界遺産にも登録されているのが下写真。ローマ皇帝ガレリウス:Galerius【260年生-311年5月5日没】が303年に完成を命じた凱旋門と霊廟:ロトンダ(写真右)は権力の象徴。ササン朝ペルシアに勝利した記念べきア-チに歴史の重みを感じる。
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このテッサロニキからバスで国境を越えたのはブルガリアのソフィア。その距離は四百八十キロと東京から神戸あたり。深夜発の車中泊で翌朝に到着した。アテネからテッサロニキは二百六十五キロで東京から浜松程度。イスタンブ-ルとの距離が六百キロ弱で三国首都の変形トライアングルにすっぽり収まる位置にある。
イラン·イスラム文明の基盤をつくったササン朝はローマの東方防衛線。アジアから地中海へと勢力拡大していけば衝突は避けられるはずもない。244年、皇帝ゴルディアヌス三世:Gordianus III【225年1月20日生-244年2月11日没】は自ら、現在イラクのバグダッド南東のあたりにあった首都クテシフォン近くまで進出したものの戦死。部下に殺害された説もある。このマッシケの戦いで長い争いの歴史が幕を開ける。前一世紀にローマが征服したかつてヘレニズム世界最大の都市アンタキヤは現在シリアとの国境に近いトルコ最南端ハタイ県の街。250年から253年に占領と奪還が繰り返された最前線。260年に現在のトルコ·シャンルウルファ付近エデッサで両軍が激突。なんと皇帝ウァレリアヌス:Valerianus【200年生-260年没】が捕虜にされる屈辱のロ-マ大敗。そんな劣勢から298年遂に悲願の首都クテシフォンを攻め落としたのだから壮麗な凱旋門も拵えたくなる。
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