141〗Juventus Stadium /トリノ

ナッツ同様チョコレート味のコーンフレークをミルクをかけるなら納得できてもヨーグルトと混ぜる食べ方は、日本人には些か違和感がある。ベルギーのイメージが定着しているチョコレートもアステカから液状で先ずはスペインへと持ち込まれた。そして固形へと進化するのだが元祖はトリノ。サヴォイア家当主が統一したイタリア王国の首都が当初トリノにあったの期間は僅か四年。十九世紀産業革命は、チョコレートの製造技術も格段に進歩させ、トリノには周辺国からチョコレート職人が集まる。『カファレル』社を創業するピエール·ポール·カファレル:Pierre Paul Caffarel【1801年生–1871年没】、『ヴェンキ』と現在も名の知れたチョコレート工房がこの時代に誕生した。
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名将スパレッティを招聘 最終節に奇跡は起きるのか

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下写真は2008年開業したトリノ·ポルタ·スーザ駅。訪問したのは2016年10月19日。こちらも美食の街として名高い仏リヨンから乗ったTGVが到着。実は半年前の五月、正午過ぎにトリノに着くはずが、ストライキで列車が運行せず結局16時19分の到着。慌てふためき、急遽イベントを翌日に延期したトラブルもイタリアならでは。今となっては懐かしい思い出である。第141話はユヴェントス·スタジアム。市中心から北西方向に向かう路線バスに乗車しStadio Nordのバス停で下車すれば目の前がスタジアム。五キロの距離だから頑張れば歩けなくもない距離だったのか。
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先週十七日に行われた第37節での波乱。でもないのか、今季に関していえば。ホームでのフィオレンティーナ戦に0-2の完敗。来季のUEFAチャンピオンズリーグへの道は最後の交差点で黄信号が点滅している。今シーズンはアズーリ解任から四ヶ月を経て電撃のルチャーノ·スパレッティ:Luciano Spalletti【1959年3月7日生】就任。新監督の手腕で復調したユヴェントスは、三位をキ-プして残りは二試合のみ。ホームでヴィオラ、最終節はデルビーを制して欧州最高峰へのチケットを手にする目論見は、いきなり崩れた。同時間帯の試合で勝利したミランとローマに抜かれ、更にあのコモにはポイントで並ばれて一気に六位にまで転落。最終節白星でもライバル達の結果に委ねなければならない。
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貴婦人の歴史を彩ったフランスの偉人たち

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ラ·ヴェッキア·シニョーラ:La Vecchia Signora。優雅で品のある「貴婦人」はユヴェントスの愛称。フットボールクラブに似つかわしくないこのニックネームの由来は諸説あるのだが、
貴婦人と言われれば、マリー·アントワネット:Marie-Antoinette【1755年11月2日生-1793年10月16日没】を筆頭に宮廷文化を華やかに彩った王妃の肖像画が頭に浮かぶ。あるいはルーヴル美術館て微笑む名画モナリザ。そして、1889年の万国博覧会の為に建設されたエッフェル塔はLa Dame de fer=鉄の貴婦人と呼ばれており流石のセンスを感じさせられる。何れにしても貴婦人がパリまたはフランスを指し示すとおり、このトリノのクラブの歴史はフランス人抜きでは語れない。
そのプレーをほとんど見ていないミシェル·プラティニ:Michel Platini【1955年6月21日生】は別格として、ジデジ-ヌ·ジダン:Zinedine Zidane 【1972年6月23日生】とディディエ· デシャン:Didier Deschamps【1968年10月15日生】。’96年から同じクラブでプレーするようになり、母国開催の’98年には 初の世界タイトルを手にしたこの二人。彼らと同世代ならば2001-02からの連覇に貢献したリリアン·テュラム:Lilian Thuram【1972年1月1日生】も印象に残る。ピッチ外でも頭脳明晰な知性派は黒人ジョカト-レの野性的なイメージを払拭した。
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上写真は2016年5月21日に開催されたロ-マ·オリンピコでのコッパ·イタリア決勝のキックオフシ-ン。プレス席から撮影しており、それ以前は一般客としての入場。カメラを持ち込んでいないから、後にも先にも本田圭佑:Keisuke Honda【1986年6月13日生】を撮影した写真はこれだけしかない。ロッソネロの十番の右サイドハーフ、一方ゼブラの十番はこの日左腕に巻かれた包帯が気になったポール·ポグバ:Paul Pogba【1993年3月15日生】。このシーズンから背番号を六番から変更したばかり。十番はプラティニ、バッジョ、そしてアレッサンドロ·デル·ピエロ:Alessandro Del Pieroは【1974年11月9日生】とセカンドストライカーへと受け継がれてきただけに、違和感がなくもない。ちなみに96年から五シ-ズン在籍したジダンは、レアルで十番を背負いはしたもののユヴェントスでは二十一番から変えようとしなかった。