119〗Stadion Rajko Mitić / ベオグラード


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1959年12月27日、FKノヴィ·サドとの対戦が旧スタジアムで最後の試合。新スタジアムが建設されるまでは、JNAスタジアム(現パルチザン·スタジアム)を仮住まいに。対戦チ-ムにあわせて近隣の小規模なスタジアムも使用していた。
その間に現在の欧州選手権の前身となるヨーロッパネイションズカップ(ENC)が創設されている。1960年にフランスのパリ、マルセイユの二大都市での大会に出場したユーゴスラヴィア代表は開催国フランス代表と準決勝で対戦。4-5の激闘を制したが決勝ではソ連の前に屈した。
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西にも東にもVISA無しで行ける万能パスポートはチト-政権の全方位外交の証

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しかし同じ社会主義体制でありながらソ連主導の軍事同盟ワルシャワ条約機構への加盟をヨシップ·ブロズ·チトー:Josip Broz Tito【1939年3月生-1980年5月4日没】は拒否している。東西双方の陣営と適度な距離を保つ外交手腕。分裂前のユーゴスラヴィアのパスポートは東西自由に越境できたので世界一便利と言われ、国民もソ連とは比較にならないほど豊かに暮らしていた。
あらためて当時のことを思い出したのは、昨秋のアレクサンダル·ヴチッチ:Aleksandar Vučić【1970年3月5日生】大統領の中立発言。NATOや他の軍事同盟とま距離を置き、露中米の大国や欧州各国とも独自の協力関係を維持するスタンス。ウクライナ紛争におけるロシアへの経済制裁にも加わっていないから反NATOや 親露と表現されてしまうのは本意ではないはず。
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それにしてもこの’60年当時のユ-ゴ代表は攻撃の司令塔にドラゴスラヴ·シェクララツ:Dragoslav Šekularac,【1937年11月8日生-2019年1月5日没】。点取り屋のボラ·コスティッチ:Bora Kostić【1930年6月14日生-2011年1月10日没】。万能型のブランコ·ゼベツ:Branko Zebec【1929年5月17日生-1988年9月26日没】。守備ではヴラディミル·ドゥルコヴィッチ:Vladimir Durkovic【1937年11月6日生-1972年6月22日没】と主軸には攻守ともツルヴェナの面々が顔を揃えている。
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