パリFCでは計三百七十三試合に出場 リ-グ·アンに届かぬままグロ-ブを置く
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松井より二歳年下のドゥマルコネは、十六歳からル·マンのユースに在籍して念願のトップチームに昇格したのが04年だった。同年9月、後にle soleil du Mans=ルマンの太陽と称される日本人ドリブラーがクラブに加わり一時同じ釜の飯を食った同僚。
しかし二十一歳の時に左膝十字靱帯断裂と半月板損傷。選手生命に関わる重症からドゥマルコネが復帰したのは2007年ロモランタンでの全国選手権だった。15-16シーズンにリーグ·ドゥに昇格したパリFC。ドゥマルコネは、04年のル·マンでのナンシ-戦出場以来となったが僅か一年で降格。
結局このシーズンは三位どまり、入れ替え戦での敗退に落胆。一年でのリーグ·ドゥ復帰が叶わなかったところに棚から牡丹餅。リ-グ·アン最下位のSCバスティアが財政難を理由にリーグ·ドゥから更に降格。三位パリFCの繰り上げ昇格が決定した。ロモランタンでの八試合を含め、百七十二試合において全国選手権の舞台でゴ-ルを守り続けたドゥマルコネも遂に三部を卒業。そこから六シーズン百八十試合リーグドゥの試合でゴ-ルマウスの前に立ち続け身を呈した。松井より一足早い引退は一昨年。けして多くはないパリFCサポーターから熱烈なエールを浴びる感動のフィナ-レ。その生涯の大半をパリFCに捧げた選手生活は計三百七十三試合。結局パリFCを一部昇格へと導く夢にこそ、たどり着けなかっただけに、今季ジャン=ブーアンでの試合を心から楽しみにしているのではないだろうか。
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もうひとりは屈強な体躯のセンタ-バック。エルヴェ·リボイ:Hervé Lybohy【1983年7月24日】。コートジボワールに生まれ、両親と共にパリへと移住したのは五歳のとき。成長して四部相当のCFAに在籍、アマチュア時代が長くプロ契約にようやく漕ぎ着けたのは2011-12シーズン、当時二十七歳を迎えていた。
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