65〗Šiška Sports Park / リュブリャナ

独立新国家の誇りを胸に

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リユヴリャナ大学から南に歩いて三十分。Murglahでヴェルデニク氏は不自由なく暮らしている。二人の実子も優秀で、息子さんはボストンでロボット工学の研究を、娘さんは家族とロンドン在住。お仕事は銀行に勤務しているので、頻繁には会えない。ユーゴスラヴィアから独立は1991年、初代スロベニア代表を務めたのは前年までNKムラを率いたボヤン·プラシュニカル:Bojan Prašnikar【1953年2月3日生】氏。今ではプラシュニカルといえばアメリカのユタ·ロイヤルズでプレ-するスロベニア女子代表の愛娘ララ:Lara Prašnikar【1998年8月8日生】のほうが有名かもしれない。’93年に退任し襷はヴェルデニックに渡された。監督とコーチ、アシスタント、ゴールキーパーコーチ、医師、理学療法士は二名。そして財務担当とスタッフの数も今とは比べものにならない。初陣は’94年9月、対戦したのは三か月にローズボウルでセレソンと世界一を争った隣の大国イタリア代表。事前にアズーリを徹底的に分析して用いたのは意表を突くカウンター戦術。リュドスキ·ヴルトで勝ち点1を捥ぎ取っている。資金が常に不足する劣悪な環境でも新しい祖国を代表できる誇りを胸に眼を輝かせ戦った選手達。2000年からJリ-グの三クラブを指導した実績をここでは説明する必要もない。イヴァン·シミッチ:Ivana Simic【1959年5月20日生】が09年2月協会·会長に就任。代表チームのディレクターに迎えられたヴェルデニクは、監督への就任を打診されている。承諾したのは南アフリカに向けて出発する数ヶ月前。しかし結局彼には航空券すら用意されなかった。’07年からA監督監督に就任し予選を突破したマティアジュ·ケクとの確執。自分の地位を脅かす存在を敵視したケクはシミッチ会長に、ヴェルデニックをユース部門へ左遷するよう要求した。この分裂を機会に母国協会から距離を置くようになったヴェルデニクは前述のとおりインテルブロックを経て八年ぶりとなる日本へ。現在UEFA会長を務めるリュブリャナ大学法学部出身の弁護士アレクサンドル·チェフェリン:Aleksander Čeferin【1967年10月13日生】がNKオリンピアを離れ協会の会長に就任したのは翌’11年だった。
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一昨年、母国協会からコーチング教育委員に就任を依頼されたヴェルデニク。しかしUEFAが七十歳以上の高齢者の役職就任に反対する提案を採択したことで解任されてしまった。それでも同胞がUEFAを束ねる名誉ある立場に就いていることは嬉しく、誇りに思っているらしい。