Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/orfool/soccerlture.com/public_html/wp/wp-includes/post-template.php on line 293

Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/orfool/soccerlture.com/public_html/wp/wp-includes/post-template.php on line 294
no-image

『スタイルとは誰のモノ?』クラブor監督or選手 ~昨季の欧州ビッグクラブ間での監督大移動による解答

 ちなみに僕はガンバ大阪から宇佐美貴史がバイエルンに移籍した2011年に、当時3年間で2度の世界王者になったいた最強バルセロナ時代からバイエルンがその最強バルサを超える日が来る事を予想していました。
(証拠→ http://ameblo.jp/venger/entry-10913363980.html  )
 
 でも、まさかペップが自ら来るとまでは予想できませんでしたが・・・。

 また、バルサ監督時代は神経質になり過ぎて、就任1年で髪の毛がなくなったペップはいつもアルマーニの黒いスーツ姿しか見せませんでしたが、ミュンヘンで有名なオクトーヴァー・フェストというビール祭りにはカジュアルな民族衣装で短パン姿まで披露しています。

 このクラスの監督になると母国よりも他国の方が精神的に楽なのかもしれません。楽しそうなペップと3冠王者になっても、新監督の哲学を新鮮な気持ちで積極的に受け入れてプレーしているバイエルンの選手達を見ていると、強すぎて憎らしいはずのバイエルンを自然に応援したくなります。

バルサのスタイルはクラブの伝統、レアル・マドリーやチェルシー、他クラブはどうか?

 そのペップが去ったバルセロナは昨季の成績的には6年ぶりの無冠に終わったものの、一昨季のティト・ビラノバ、昨季のマルティーノ、今季のルイス・エンリケと3年連続で監督交代がありながらも、スタイルとしてはそれほどの変化はなく、再建に必要なのは世代交代や新たなタレントという部分かな?という印象。
 よって、ペップやバルセロナの関係としては、2008年~2012年の”最強バルセロナ”時代のスタイルというのは監督のモノでもあり、クラブのモノでもあると言えると思います。
 選手としても監督としてもバルサで伝説となっているクライフとペップを筆頭に、クラブが継続してきた歴史と伝統がスタイルにも現れているのでしょう。

 しかし、モウリーニョが去ったアンチェロッティのレアル・マドリーは、前任者のカウンターサッカーからポゼッションへの移行がなされ、苦しみながらもアンチェロッティ特有の調整力によって両方の要素を取り入れつつ、最高のタレントを活かしたバランス型で固まり、見事に悲願の”ラ・デシマ(10度目の欧州王者)”達成。
 
 そのモウリーニョがやって来たチェルシーは、オーナーからの攻撃志向のオーダーがあっても、最終的にはカウンター主体のモウリーニョらしいチームとなり、チェルシーとレアル・マドリーの環境では、スタイルとは監督のモノである事が判明したと言えます。

長谷川ガンバの再建過程を知る事=アギーレジャパンのナビゲーター

 そこでコレをJリーグに置き換えるとどうなるのか?

 特に現在J1リーグで10年ぶりの7連勝を記録しているガンバ大阪にスポットライトを当てるとどうなるのか?
 あの“黄金の中盤”と言われた遠藤保仁・明神智和・橋本英郎(現ヴィッセル神戸)・二川孝広の4人が作り出した華麗なパスサッカーというのは、2002年から2011年まで10年間指揮した西野監督のモノだったのか?
 それともあの4人のMFのモノだったのか?
 それともガンバというクラブのモノだったのか?
 
 以前に僕が更新しているブログ内でアンケート集計すると、やはり現在のガンバに「攻撃的」や「ポゼッション」「パスサッカー」というイメージはなく、「攻守のメリハリ」「攻守の切り替え(トランジション)の速さ」が武器だという声が80%以上を占めました。

 つまり、ガンバのパスサッカーはクラブやチームの伝統のモノではなかったのだと考えられます。

 橋本以外の3人のMFは未だガンバに在籍しているにも関わらず、守り勝つ試合や最終ラインから最前線へのロングボールが圧倒的に増えた現状を見ると、あのパスサッカーは西野監督のモノとも考えられます。
 しかし、西野監督がガンバ退任後に指揮しているヴィッセル神戸や名古屋グランパスの試合を観ていて、”西野サッカー”などと思わせる哲学はあまり感じられません。ですから、あのパスサッカーは時代と選手の巡りあわせによる偶然の産物だったのかもしれません。