ひとりではなかった古代ギリシャの女神ミューズ
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古代ギリシャ神話に登場するミューズは 文芸/学術/音楽/舞踏とすべての芸術を司る女神。ひとりではなく九つの各分野にミューズが九人いる。つまりミューズは個人名ではなく現代ならば差し詰めTWICE:トゥワイスだろうか。昨年の日産スタジアムでの公演を収録したDVDが発売されたばかり。古代のミューズに話を戻すと、崇拝するギリシャ人達によって1870年自国内で開催されるオリンピックには芸術競技という概念が持ち込まれた。ストックホルム(1912年開催)から文学/絵画/建築/彫刻/音楽が芸術競技種目として登場している。
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作品の課題は『アートとスポーツのつながり』。建築部門で金メダルを獲得したのは、モルジュ出身のスイス人ウジェーヌ·エドゥアール·モノ:Eugène-Edouard Monod【1871年6月16日生ー1929年11月9日没】とフランスの東端、イタリアと国境を接するサヴォワ出身のアルフォンス·ラヴェリエール:Alphonse Laverriére【1872年5月16日生-1954年3月11日没】の二人。パリの芸術アカデミー在学中に意気投合し1902年にローザンヌに建築事務所を構えた。開催される前年、ラヴェリエールはスイス国籍を取得(※父親がスイス人)することでスイス代表としての出場資格を得る。彼らの作品は近代オリンピック都市計画。
建築家とアスリ-トの二刀流メダリスト
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ハヨシュ·アルフレード:Hajós Alfréd【1878年2月1日-1955年11月12日】は、’24年のパリ五輪建築部門で銀メダルを獲得。アルフレードと共同で設計したのはラウベル·デジェー:Lauber Dezső【1879年5月23日生-1966年9月5日没】。彼らのブダペストの水泳競技場計画は前回のアントワープに続きこのパリでも金メダルの該当者がないので優勝作品となる。
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パリ五輪の二年前に完成したウーイペシュトのスタジアムはハヨシュの代表作のひとつ。彼はもともと超一流のアスリート。アテネで近代五輪歴史の幕が切って落とされた1896年。当時は大学の建築学科で学ぶ学生が、水泳種目で2枚の金メダルを獲得。全競技種目を見渡しても十八歳の世界王者は最年少記録だった。アテネの二年後に開催されたハンガリー陸上選手権では100メートル短距離と400メートルハードルのニ種目で国内王者に。更に驚くべきは1901年からはフットボーラ―としてもハンガリー代表に選出されており、’02年10月12日のウィーンにおける両国代表初の国際試合にも出場しているのだから、その万能ぶりには恐れ入る。デジェーも’08年のロンドン五輪に出場したテニスプレ-ヤ-と知って「何なのこのコンビ」。もはや凄すぎて閉口頓首するしかない。’28年のアムステルダム大会で金メダリストが久しぶりに誕生する、オランダの建築家ヤン·ウィルス:Jan Wils【1891年2月22日生ー1972年2月11日没】の作品は大会中多くの種目で使用されたアムステルダムのオリンピックスタジアム。図面やパースではなくて現物もありだったのかと吹き出しそうになる。おそるべきは芸術競技。