Foot ball Drunker 〔79〕visiting 『Fortuna Arena』プラハ / チェコ

ユーロ2024確定も 監督辞任の激震

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UEFA欧州選手権予選グループEでは、ポーランド代表をプレーオフに追いやりグループ2位で出場権を獲得したチェコ代表。ところが先月ヤロスラフ·シルハヴィ:Jaroslav Šilhavý【1961年11月3日生】監督退任が発表された。ここではあえてキャバクラ3?の強制送還には触れまい。

第79話はスラヴィア·プラハとチェコ代表の本拠地フォルタナ・アリーナ。2005年に旧建物を取り壊して完成したのが’08年。今年十五周年を迎えた六階建のスタジアムは、収容人員19,370人と大き過ぎず小さ過ぎず。


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少し中途半端なクラブ創設“125”周年を祝いこの巨大タペストリーが掲げらたのは’17年。UEFAチャンピオンズリーグ(CL)本選に向けて鼻息は荒く、育てた若手を売り払い移籍金の発生しないベテランをかき集めた大型補強。それがAPOELニコシアの前にまさかの予選敗退。UEFAヨーロッパリーグ(EL)も最終節カザフスタンのアスタナに黒星、グループステージ敗退となり年明けを待たずに首を切られたのがシルハヴィだった。

一方FIFAワールド杯出場を逃し再出発のはずが、9月10日ロシアとの親善試合で5-1の大敗。カレル・ヤロリーム:Karel・Jarolím【1956年8月23日生】監督が電撃解任されると、ナショナルチームは御祓を終えたシルハヴィに委ねられた。


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いきなりの本番が新設されたUEFAネーションズリーグ(NL)、新体制初戦はスロバキアに2-1の勝利。この試合で2アシストを記録、存在感を示したのがブルーの主将章をつけたボジェク・ドチカル:Bořek Dočkal【1988年9月30日生】。中国河南建業でプレーした後、当時は米国メジャーリーグサッカー=MLSのフィラデルフィア・ユニオンへレンタル中の国際派。


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キーウでのアウェー戦は、敗れこそしたもののシュート数、ポゼッションもほぼ互角と悲観する内容ではない。下写真はワルシャワでのポーランド戦の勝利を報じる紙面。ロシア大会に出場し日本には勝利したポーランド代表。
この大会でもAリーグに組み込まれており、Bリーグのチェコからすれば確かに格上ではあるが、白星も驚きには値しない。実力差は紙一重どころかオカモトの極薄●●●●●一重の実力差。ちなみにこの●●●●●はもちろん医療用手袋である。 


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スロバキア代表とは11月19日にエデン(当時)アリーナで再戦。前半32分パトリック·シックPatrik Schick:【1996年1月24日生】の技ありループが炸裂。筆者の下手くそな写真が並ぶ連載ではあるが、このショットだけは自画自賛ならぬ自写自賛。堅守で後半は共にスコアレス。ドチカルも終了間際にイエローの土産を貰う。


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さて明日は大晦日、新監督が発表されないまま年を跨ぐチェコ代表。

実行委員会は今月チェコ代表チームの新監督選出に向けて臨時会合を予定していたが急遽中止に。有力候補者であるイワン·ハシェク:Ivan Hašek【1963年9月6日生】への支持率が思いのほか低いのが理由。’04年ヴィッセル神戸では力量不足を露呈。およそ二十年を経た本年9月、エディオンスタジアム広島ではトークショーが企画され来日。この日サンフレッチェの対戦相手がヴィッセルで苦笑した。
現地の情報によると投票権のある12人の委員会の中でアドルフ・シャデク:Adolf Šádek委員長を含む七人がハシェク復帰に反対しているらしい。UAEやサウジ、カタールのクラブ、レバノン代表など中東諸国で指導者としてのキャリアを積んできたが、2010 年のFIFAワールド杯出場を逃して以来、欧州での実績は皆無に等しくわからなくもない。そうなると本命はボヘミアンズ1905のヤロスラフ·ヴェセリー:Jaroslav Veselý 【1977年8月8日生】か。対抗・・・というより大穴でスラヴィアの助監督ヤロスラフ·ケストル:Jaroslav Köstl【1989年12月4日生】34歳の名前が候補にリストアップされているとか。