Foot ball Drunker 〔53〕visiting 『Hristo Botev Stadium』プロブディフ / ブルガリア

新スタジアムでは“初”となるプロブディフダービー開催

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日本とは異なり、試合開催日が正式に決定するのは一ヵ月前だったり一週間前に変更したりとかなり曖昧な欧州の国内リーグ。トップリーグの試合がなければ二部三部、ユースからアカデミーまで、時間が許す限りスタジアムと隣接する練習場にへばりついている。地元の方の目には、この奇妙な東洋人の存在は不思議に映っているはず。


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日本では11月3日自由と平和を愛し文化をすすめる《文化の日》でお休み。薔薇とヨーグルトの国ブルガリアにも文化の日は5月にあるが、11月3日は普通に金曜。週末のブルガリア第二の都市でプロブディフではボテフとロコモティフのダービーマッチが開催された。
第53話は会場となったフリスト·ボテフ·スタジアム。

レアル·マドリードの会長を務めたサンティアゴ·ベルナベウ:Santiago Bernabéu【1895年6月8日生-1978年6月2日没】も現役時代はストライカー。エルンスト·ハッペル:Ernst Happel【1925年11月29日生-1992年11月14日】】もヨハン·クライフ Johannes Cruijff 【1947年4月25日生-2016年3月24日没】も選手·指導者の両方で名声を博した。


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しかしフットボールに関係していない偉人の名をスタジアム名に冠しているのは稀。記憶の隅をつついても、昨年ペップシティが悲願のビッグイヤーを掲げたイスタンブールの競技場ぐらいだが、ブルガリアではスタジアムどころか複数のクラブが名前に用いているから紛らわしい。

それほど詩人にして革命家、フリスト·ボテフ:Hristo Botev【1848年1月6日-1876年6月1日】の存在はブルガリア国内では大きく、500年もの長きに渡るオスマン帝国の支配からの独立は、同国の歴史における最大の偉業。となれば、まずはスタジアム前のボテフ像に一礼。
ボテフはバルカン山脈の麓にあるプロブディフ県カラフェルの出身。バルカン山脈の最高峰もボテフと命名されている。


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1961年に完成したこのスタジアム。FCステアウア·ブカレストとのこけら落としから半世紀以上の年月。栄光と挫折、光と影がピッチ上を駆け抜けた。財政難により3部リーグ降格を経験したのは2010年。翌年二部、更に翌年と最短で一部復帰。そして’14年に新スタジアム建設に着手する。
現在も完成には至らないが、どうにか本年4月29日、屋根付きのスタンドとイエロー一色の18,500席が披露された。

1万8千人が感無量 ブルガリア版ナショナルダービー

対戦相手は、こちらも革命家ヴァシル·レフスキ:Vasil Levski【1837年7月18日生-1873年2月18日没】の名を冠するレフスキ·ソフィア。工事期間中、市南郊外にある練習拠点でのホームゲームに足を運んでいたファン・サポーターにとってこのナショナルダービーは、さぞや感慨深いものであったと察する。
ちなみに昨夏のUEFAカンファレンスリーグ予選。ボテフは規定によりソフィアにあるレフスキの本拠地でAPOELニコシアとの試合をせざるを得なかった。