Foot ball Drunker 〔106〕visiting 『Stadio Alberto Picco 』ラ·スペツィア/ イタリア

ラ·スペツィア湾の港町で磨かれるギニア湾からの原石

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他の競技ではあまり聞かないサッカー用語でお馴染み“Malicia:マリーシア”。ポルトガル語をずる賢さなどと和訳しているが、イタリア語のスペルだとMalizia。日本語では〇でもラテン語のマルは×。

2月27日のコパ·デル·レイ=スペイン国王杯の準決勝第で久保建英:Takefusa Kubo【2001年6月4日生】は古巣マヨルカとホームで対戦。PK戦の末無念の敗退。初戦で驚くべき決定機逸のシュートミスで不本意ながら一気に日本での知名度を上げたのがナイジェリア代表ウマル·サディク:Umar Sadiq【1997年2月2日生】。日本ではウバツと言われても仕方ない。


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彼を母国からイタリアに迎え入れたクラブがスペツィア·カルチョ。ジェノヴァとスペツィアのほぼ中間に位置するラヴァニェーゼ(セリエD)にレンタルされると、最終節でトップデビューを果たした2013-14シーズン。翌年24試合で26ゴールという驚異的な成績を収め、カンピオナート·プリマヴェーラ=U19の得点王に輝く。

前回に続きラ·スペツィアの本拠地アルベルト·ピッコ。クラブチームが刻んだ110年の歴史を示すエンブレムとファサード。汗ばむ陽気の春先からおよそ半年ぶりとなる10月の街並みにはダウンジャケットを羽織る姿も。

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取材したチッタデラ戦のスタメン、注目は右サイドの背番号18番デヴィド·オケレケ:David Okereke【1997年8月29日生】。8月のコッパ·イタリア三回戦、ウディネーゼ相手に逆転ゴールを決めジャイアントキリングの立役者として伊紙面を飾った。ラヴァニェーゼ(セリエD)を経て4月にプロデビューをしたばかり。この日のオケレケは立ち上がりこそ悪くはなかったのだが徐々に消えてしまい後半9分でベンチに。翌日ガゼッタ紙の採点は5。


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オケレケとサディク、このクラブにナイジェリアからの若者が目立つのには理由がある。スペツィアも2008年経営破綻によりセリエDからの再始動を余儀なくされた苦い過去を持つ。当時はシステム管理コストを削減するため公式収容人数は7,500席まで削減された。救世主となったなのがナイジェリア在住のイタリア人資産家ガブリエレ·ボルピ:Gabriele Volpi【1943年6月29日生】氏。’76年に移住すると石油·ガス、物流、不動産、海運、接客業、スポーツと幅広く同国内での事業に成功を収め莫大な富を築いた。
’13年からはクロアチアのサッカークラブHNKリエカにも出資、昨年まではコスタ·スメラルダ(セリエD)のオーナーも務めていたのだが’20年スペツィアがクラブ史上初のセリエA昇格を果たすと翌’21年に売却している為、現在はナイジェリアとのパイプは閉ざされてしまった。

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一方チッタデラはレガプロからの昇格直後ながら優勝争いに堂々加わるだけあって統率のとれた好チーム。ロベルト·ヴェントラート:Roberto Venturato【1963年4月14日生】監督の手腕を誉めるべき。上写真は試合後の記者会見。ヴェントラートは残り10分でコートジボワール人クリスチャン·クアメ:Christian Kouamé【1997年12月26日生】を投入。何もできずにタイムアップの笛を聞く。実はこのクアメ、以前はサッスオーロ、前(’16)年はインテルのユースに貸し出されておりプリマヴェーラではその名を知られた選手。この日見せ場こそなかったものの次節(29日)のラティーナ戦では得点を決めた。これまでユースとレガプロでのプレー経験しかない彼にとっては新たな階段を上る記念すべきゴールとなった。月日を重ね今シーズンはフィオレンティーナで21試合に出場し1ゴール1アシストを記録している。