80〗Nagyerdei Stadion / デブレツェン

本田VSジュジャ-ク モスクワでの再戦

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VVVフェンローの二部降格/昇格を経て’09年の開幕戦フィリップス·スタディオンで再会。ジュジャークのクロスにオラ·トイヴォネン:Ola Toivonen【1986年7月3日生】が頭であわせPSVが二点をリ-ド。後半からはこの日主将章を巻いた本田が本領発揮の1G1Aでフェンローが追い付きその後双方1点を加えてのドロ-。それから二年半を経て’12年3月にモスクワで顔をあわせた両雄。CSKAのトップ下に君臨する本田の前にディナモの十一番をつけたジュジャーク。オランダでは所属クラブに実力差があるなかで健闘したのは若き日の本田。ロシアでは互いに首都のクラブで同格。両者が共にアシストを記録し1-1の引き分け。翌月の再戦は1-0でディナモの勝利。決勝弾を演出したのはジュジャーク。’13年10月もジュジャークの左足で先制し結果は0-2。本田との対戦ではハンガリーのエースが活躍した印象が強くおそらく本田は一勝もしていないはず。同年齢でポジションも被る二人、共に母国からオランダ経由でロシアへ。本人達の知らないところで筆者の頭の中では日本代表エ-スのライバル/天敵キャラクターとして出来上がっていた。
ブダペストのスタンドで見掛ける五日前にロシアプレミアリーグは一足早く閉幕。オフを母国に戻り、古巣の後輩達を応援しようとヒデグチ·ナーンドルに立ち寄ったのだろう。
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ジュジャークがアイントホーフェンへと巣立ってもデブレツェニの快進撃位は止まらない。2009-10シーズンには念願のUEFAチャンピオンズリーグ本戦出場を果たす。初戦では四万人を超えるアンフィ-ルドを経験。しかしACFフィオレンティーナとの点の奪い合い(3-4の敗戦)が行われたのは残念ながらデブレツェンから二百三十キロ離れたブダペストのプスカシュ。当時UEFAの基準を満たすスタジアムは首都にしかなかったのがハンガリー。欧州でも一躍脚光を浴びたことで、新スタジアム構想を発表したのは2010年3月。’14年に完成したナジェルデイ·シュタディオン。ショ-ケ-スに展示されているのはベルンのヤングボーイズと交換したペナント。14年8月21日のUEFAヨーロッパリーグ一次予選で対戦した際の記念品。数年前にはハンガリー代表を率いるマルコ·ロッシ:Marco Rossi【1964年9月9日生】からも「この国が本当に改善すべきは、スタジアムなどの施設だ。これは、かなり遅れている。ハンガリーの方が、100倍は良い状況だ」と厳しい言葉を頂戴してしまったのは母国イタリア。
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