118〗Elindus Arena / ワレヘム

あの日あの時は◼️2022年3月12日ジュピラー·プロリーグ第34節ズルテ·ワレヘム対KASオイペン
前半サイドバックのアレッサンドロ·チランニ:Alessandro Ciranni【1996年6月28日】が先制弾を放つと後半にオウンゴールで追加点。残り七分のダメ押しはイェレ·ヴォセン:Jelle Vossen【1989年3月22日生】のPK。文句なしの完勝。試合後は
チランニとヴォセンがゴール裏の櫓に上り拡声器を手にしたはしゃぎぶり。それにしてもこのヴォセンは四年が過ぎた現在もワレヘムで主将を務めているジュピラ-の顔。ヘンクとブルッヘの両クラブをあわせるとジュピラ-プロリーグで記録した得点は百四十二は、現役では最多を誇る。出場試合数は364試合は現役では第二位。ヴォセンを上回るのはクラブ·ブルッヘのハンス·ファナーケン:Hans Vanaken【1992年8月24日生】のみ。
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無失点のワレヘム門番はこの試合主将のサミー·ボス:Sammy Bossut【1985年8月11日生】。’14年のFIFAワールド杯ブラジル大会に臨んだマルク·ヴィルモッツ:Marc Robert Wilmots【1969年2月22日生】監督率いる赤い悪魔。当時ベルギー国内最高のゴールキーパーは昨シ-ズン二部のクラブで現役を退いた。ジュピラープロでの出場試合数378は’06年から、十七年間在籍したワレヘム単一での数字。国内外の強豪でプレーすることなく当時スター集団のベルギー代表選出は異色の存在だった。


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マレーシア人初のJ1リーガーは元U21ベルギー代表

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撮影した中での異色の経歴が上写真のディオン·ヨハン·クールズ:Dion Cools【1996年6月4日生】。母の母国マレーシアのサラワク州クチンで生まれる。ベルギー人の父ハンスは、当時コヴェントリーの黒人ストライカ-、ディオン·ダブリン:Dion Dublin【1969年4月22日生】の活躍から息子に同じ名前をつけた。ミドルネ-ムのヨハンは、空飛ぶオランダの偉人から借用。こちらは然程珍しくはないか。
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ユース時代にベルギーの複数クラブでプレーした後、2014年にOHルーヴェンでプロデビュー。その名前が国外でも知られるようになったのは15年夏にクラブ·ブルッヘに移籍後。7月UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦のパナシナイコスFC戦では1点のビハインドで、後半残り10分での途中出場。8月ホ-ムでの再戦はスタメンフル出場。後半8分にコールズが頭で決めて三点目をアシストしたクールズはレギュラ-の座を掴む。ところがプレーオフの相手はまさかの英国版の赤い悪魔。かつてディオン·ダブリンも所属したマンチェスターの壁は厚く本選進出はならず。インドネシア系をオランダで見掛けることはあっても英国の影響が色濃いマレ-シア系のフットボ-ラ-は見た記憶がない。クールズが同国初の欧州主要リ-グ経験者とあってU21ベルギー代表にも選ばれた
クラブブルッヘ時代から気になっていた。
FIFAワ-ルドカップアジア予選からマレーシア代表に加わりタイのクラブで勿体ないと思っていたら昨季セレッソ大阪が獲得したからお目が高い。
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