126〗Alphamega Stadium / リマソ-ル

古代ギリシャとオリエントの交叉する島が迎えるウクライナの民

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さて、やたら長いここまでが前置き。侵攻を逃れてリマソールに避難してきたのがウクライナ人。本年一月末の段階で受入人数は、約二万四千二百三十人が一時保護の名目で滞在中。この数字がどれ程すごかというと人口比率。キプロス住民がもともと少いから千人あたりの人数はEU加盟国で第四位 一位は’68年のソ連主導の軍事介入=プラハの春を経験して旧ソ連現ロシアへの怒りに猛るチェコ。二位ポーランドと三位スロバキアは国境が接してるお隣さん。そしてドイツやハンガリーではなく碧落のキプロス。理由は明白。ロシア語とウクライナ語は六割程度しか共通していないが、ウクライナ人の多くがロシア語を理解できるし、特にロシアに近い南部キーウでは普通にロシア語で会話がされていたから、もしかするとウクライナ語よりロシア語のほうが通じるのかもしれないと勝手に思った程。ウクライナの美しいお嬢さんは大歓迎だが、いくら日本の治安がよく日本人が親切でも言葉の障害はやはり大きい。
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オリエントとギリシャ、異なる文化が交叉する位置で繁栄したキプロス第二の都市リマソ-ル。聖地エルサレムの奪還のための十字軍。前線基地として島を占領することを決めたイングランド軍が上陸した地がリマソール。こうして十字軍に征服された後は、エルサレム王家の末裔が統治した十字軍国家キプロス王国(1192〜1489)の宮殿が建てられた。リチャード1世:Richard I【1157年9月8日生-1199年4月6日没】が結婚式をあげたという城砦の教会や宮殿跡の遺構は今や観光名所に。
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