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サッカーとの思い出① 〜野球少年との偶然の出会い

 Jリーグもオフシーズンになりましたので、少し僕のサッカーとの出会いや関わるキッカケになった事を交えながらサッカーを語らせてもらいたいと思います。

 1993年、Jリーグは開幕しました。当時小学校4年生だった僕は、家に帰って来ると玄関にランドセルを置いて野球をしにいく子供でした。友達数人でする三角ベースぐらいでしたが。

 僕はJリーグが開幕するまではあまりサッカーには関心がなく、Jリーグ開幕前年の日本代表戦を少し観たぐらいしか記憶にありません。逆に毎日のように関西のローカルテレビ局で放送されている阪神タイガースの試合を観て、「それゆけ和田豊(現監督)」の応援歌を聞きながらテレビを観るというのが、スポーツ観戦の習慣でした。

 ここでも天邪鬼な僕は阪神の試合を観ていながら、オリックス・ブルーウェイブのファンでした。イチロー選手が大ブレイクする前からオリックスファンでした。何せ僕の女性との初デートはオリックスの試合でしたから。そして、何故か僕が観に行った試合の先発投手が図ったわけでもなく3試合連続で小林宏という、その後は日本シリーズで敢闘賞を受賞する選手でした。そして、その当時の”ブルーウェイブ”の名前で試合をしていたオリックスのホームスタジアム=グリーンスタジアム神戸の隣、神戸総合運動公園にあるのがユニバー記念競技場でした。

 Jリーグが空前のブームとなり、僕もテレビでJリーグを観る事が多くなりました。そして、「誰が観ても解かりやすい」という理由なのでしょうか?ヴェルディ川崎の日本代表FW三浦知良(現・横浜FC)のボールを足で跨ぐフェイントと“カズダンス”に憧れて、小学校から帰宅した際は野球だけでなくサッカーもするようになりました。しかし、Jリーグの観戦チケットはプレミアチケットとなり、全く購入できないほどの人気商品でした。

初のJリーグ観戦は日本人初のハットトリック
   天才デビューと”ミスターガンバ”初アシスト

 そんなある日、僕の父親が職場の同僚が都合がつかなくなって譲り受けたJリーグの観戦チケットを持って帰って来ました。

 1993年6月5日、サントリーシリーズ第7節。(第1ステージのことで、当時はスポンサーが冠となていた。第2ステージはニコスシリーズと表記されていた。)

 野球を観に行っていた隣の会場で行われるJリーグの試合。対戦カードはガンバ大阪VS名古屋グランパスエイト。当時はサッカー普及の意味合いもあり、ホームゲームの開催地が全て一緒という事はない時代。ガンバのホーム開催でも、当時はヴィッセル神戸が存在していない時期なので、ユニバーでも何度か開催されていました。

 カズさんに憧れてサッカーに興味を持った僕は両親にJリーグの選手名鑑を買ってもらい、この試合を観に行くために“予習”をしていました。そして、両チームの選手を観て真っ先に覚えたのは、名古屋に在籍していたイングランド代表FWギャリ―・リネカー。1986年のメキシコW杯は“ディエゴ・マラドーナの大会”としてアルゼンチンが優勝した大会でしたが、その大会の得点王はリネカーでした。

 当時はまだW杯に日本代表が1度も出場していないどころか、W杯出場なんて夢のまた夢状態だった事もあり、W杯の意味もわかっていない小学4年生の僕は、「W杯得点王がいるんだ」という興奮と、リネカーが現役生活で1度も警告を受けていないフェアプレー精神の“ジェントルマン”である事ぐらいは覚えた上で、この試合を観に行きました。出身も住まいも大阪でも、それとガンバは特に関係はなく、この試合に出場する選手で最も凄い選手はリネカーだと。今で言えば、コレがセレッソ大阪のウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランになるのでしょう。

 その試合は実にメモリアルな試合になりました。

 ガンバ大阪FW永島昭浩さんがJリーグ初の日本人によるハットトリック(外国籍選手の初のハットトリックは開幕戦で鹿島アントラーズのMFジーコが記録)を記録し、ガンバが3-1で勝利したのです。

 もちろん、永島さんのハットトリックも偉業でしたが、それ以外にも開幕から負傷で戦列を離れていた“天才MF”日本代表の磯貝洋光さんがJリーグデビューを果たした試合でもありました。また、現在は“ミスター・ガンバ”となった高卒ルーキーFW松波正信さんが初アシストを記録した試合でもありました。

 そして、前述のリネカーは・・・。なんと前半終了間際にガンバDFフラビオの悪質なファウルを受けて蹲り・・・負傷退場。骨折でほとんどJリーグでプレーできなくなる怪我を負ったのを、ちょうど僕が位置したゴール前で目撃しました。

 当時はゴール裏が熱狂的サポーター集団の陣取る場所という認識もなく、そのファウルの判定やリネカーへのブーイングも意味もわからず。それよりも、そのファウルで得たFKを名古屋のMFジョルジ―ニョが直接決めた事に感動。

 しかし、松波さんの浮き球パスから、永島さんのハットトリックとなる3点目が決まった84分。僕はもうスタジアムにはいませんでした。よくあることかもしれませんが、父親の指示により試合終了10分前には席を立って帰路に向かっていたのです。そして、地下鉄の駅に近づいた時、スタジアムの大きな歓声による揺れを感じました。思えば、この日の会場に着いたのもキックオフぎりぎりだったと思います。

 スマホも、インターネットもなく、大阪からユニバーまでの距離も遠い事から夜のニュースも観れないで小学生の就寝時間に帰宅してその夜はすぐに就寝。翌朝の新聞と朝のニュース番組で永島さんの歴史的偉業を確認したのでした。あの偉業を目撃し・・・・てはいないことも、翌朝まで何もわからなかったことも悔しかった。

By | 2017-04-21T21:52:15+00:00 1月 13th, 2015|Categories: コラム, サッカーほのぼの, その他コラム|Tags: , |0 Comments

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hirobrown
創設当初からのJリ−グファンで各種媒体に寄稿する副業サッカーライター。好きなクラブはアーセナル。宇佐美貴史やエジル、杉田亜未など絶滅危惧種となったファンタジスタを愛する。趣味の音楽は演奏も好きだが、CD500枚ほど所持するコレクターでもある。 サッカー歴:中学・高校時代にサッカー部に所属。 中学時は大阪市トレセンに選出される。 その後は競技者としてのサッカーから離れていたが、サッカー観戦は欠かさない 。

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