見上げれば古城 歴史と現代が交差する空間
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スタジアムのピッチから見上げれば文化遺産に指定されるこの街のランドマーマクが目の前に。ローマ帝国軍は179年ヴァーフ川を臨む岩山の上に城砦を築き、領地最北端であることを示た。1241年のモンゴルの欧州侵攻。神聖ローマ帝国、ポーランド王国、ドイツ騎士団など欧州連合軍で迎え撃ったものの歯が立たず。現チェコ東部のモラヴィア(当時ハンガリー領)へと兵を進めたモンゴル軍に対して、トレンチーンでもや要塞を盾に抵抗した。トレンチーン城が築かれたのはハンガリー王国支配下の11世紀。
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その後ハプスブルク帝国、オスマン帝国による数世紀続く支配下にも関わらず、独自の言語と文化を守り続けたスロバキア。スロバキア語での発音は《スロヴェンスコ》はスラヴ人の地を意味する。
オーストリアとの国境に近い首都ブラティスラヴァから人口6万4千人のトルナヴァまで列車で30分。この七番目の都市を分岐点に東へ50キロ移動すれば同国六番目の都市ニトラ。そして北東85キロに位置するのがトレンチーン。
スロバキアの代表的なビール銘柄はCORGON。ニトラにはラベルと同じ石像がある。紙面写真は白がASトレンチーン、水色がスロヴァン·ブラティスラヴァのユニフォーム。
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1992年に創立された新興クラブ。チェコとの連邦制解消は翌年。従って誕生したスロバキアリーグはJリーグと同い年。いきなり三連覇達成のスロヴァン、2001年から三連覇のジリナがUEFAコンペティション予選の常連に。ASトレンチーンが2014-15シーズンから二年連続でリーグ&カップ戦の二冠を達成するまでは、トレンチーンが何処にあるのかも知らなかったから驚きもする。
しかし調べると更に驚嘆。2007年2月14日クラブオーナーに就任したのはチェウ·ラ·リン:Tscheu La Ling【1956年1月6日生】氏。父親が中国人の為、この氏名ではあるがオランダ人の母親からハーグで生まれた二重国籍。1973-74シーズンにプロキャリアをスタートしたのもFCデンハーグ。75-76シーズンからはアヤックスへ加入。82年のパナシナイコス移籍まで七年間をアムステルダムで過ごした。
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アヤックスでの最終シーズン:1981-82は米ワシントンから11月に古巣復帰した親友故ヨハン·クライフと共にオランダ国内リーグタイトルを奪還。ベテラン勢と93年ジュビロ磐田入りするジェラルド·ファネンブルグ:Gerald Vanenburg【1964年3月5日】やフランク·ライカールト:Frank Rijkaard【1962年9月30日生】など後に’88年オレンジ旋風を巻き起こす若者達ともプレー
。Ajciedにとっては伝説のウインガー。
ちなみに彼のアヤックスでの最後の試合となる最終節ハーレム戦ではルート·フリット:Ruud Gullit【1962年9月1日生】に先制点を許すものの逆転勝ち。リンも三点目をアシストして有終の美を飾っている。
2012年12月アヤックスとトレンチーンは2014年までのパートナーシップ契約を締結。両クラブ間でスカウティングや人材育成について情報を共有する関係に発展。アスリート向け栄養補助食品を開発するFitshape社の創立等、事業家とは別にかつてプレーしたギリシャ、南米や東欧にフットボールアカデミーを設立する一面も。
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