Foot ball Drunker〔19〕 visiting 『 Szusza Ferenc Stadion 』ブダペスト/ ハンガリー

スポーツと芸術、両部門の五輪メダリストが設計したスタジアム

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昨季最終戦、目の前の惨憺たる有り様に絶句したアウェイスタンドのアヤクシード。
筆者も肩を落としビッチサイドからプレス控え室に戻る途中の通路壁面には歴代選手の顔写真。一番右端に見つけた宮市亮:Ryo Miyaichi【1992年12月14日生】がFCトゥウェンテでプレーしたのは2014-15。


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2010年はアヤックスの練習に参加しており、クラブ初の日本人プレーヤー誕生かと勝手に期待が膨張。この年2月韓国人ストライカー、石鉉俊:ソク・ヒョンジュン:SUK HyunJun【1991年6月29日生】が既にアムステルダムで脚光を浴びていたから、日韓FWコンビ実現となれは話題になるだろうと、妄想の先走りが止まらない。


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第19話はソクを7年ぶりに見たスサ・フェレンツ・シュタディオン:Szusza Ferenc Stadion 。7年ぶりといっても6年前。

ハヨシュ・アルフレード:Hajós Alfréd【1878年2月1日-1955年11月12日】は、1924年のパリオリンピック建築部門で銀メダルを獲得。当時の五輪はスポーツと芸術の祭典。


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1922年に完成したこのスタジアムはハヨシュの代表作品のひとつ。彼はもともと超一流のアスリート。アテネで近代五輪歴史の幕が切って落とされた1896年。建築学科で学ぶ学生が、水泳種目で2枚のゴールドメダルを獲得。全競技種目を見渡しても18歳の世界王者は最年少記録だった。


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アテネの二年後に開催されたハンガリー陸上選手権では100メートル短距離と400メートルハードルのニ種目で国内王者に。
1901年からはフットボーラ―としてもハンガリー代表に選出されており、1902年10月12日のウィーンにおける両国代表初の国際試合にも出場しているのだから、その万能ぶりには恐れ入る。