Foot ball Drunker〔2〕 visiting 『 Stadion FK Admira Praha』ブラハ / チェコ

伊国大使館庭園に旧松山藩邸の面影

 国立西洋美術館での『カラヴァッジョ展』報道内覧会に足を運んだのは美術メディアにも寄稿していた2016年。看板に定番の後援:外務省、イタリア大使館の文字。ならば美術館関係者に続き大使か文化部の部長級がスピーチする毎回の式典式次。


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東京都港区三田二丁目は、かつての伊予松山藩邸跡地。慶応大学近くに緑豊かなイタリア大使館がある。


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松山城の天守閣から、眺めたのはFC愛媛の本拠地ニンジニアスタジアム。
世界的な感染症騒動も収束し、一人息子と彼のじじばばを訪ねる。彼が中学の時に離婚してからも2016年高一の夏休みにはイタリアでの仕事に同行させたり、二人旅で親子の絆をかすかに繋いではいる。
同じく愛媛県のFC今治も岡田武史氏Takeshi Okada【1956年8月25日生】のオーナー就任から間もなく10年になる。

FIFAワールド杯カタール大会から半年後のドイツ訪問。日本サッカーへの評価は大きく変わっていた。
デットマール・クラマー:Dettmar Cramer【1925年4月4日-2015年9月17日生】が種を巻いたのは1960年。Jリーグ開幕からは30年。この10年間日本国内に疎い自分でも環境が整備された日本の現状ならば欧州に対して比毛を取らないと感じる。幾つかの要因のなかでも、振り返るならば2014年に誕生したJ3の存在が大きい。


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前述の愛媛FCは2006年にJ2昇格を果たしたが2021年に最下位降格!。今シーズン、北は八戸から南はFC琉球までが鎬を削るJ3。これだけ日本各地にプロクラブが分散すれば、若年層の指導育成レベルが向上するのも当然。


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今回ドイツからオーストリアのウィーンへはチェコを経由して移動するルートに。
チェコ、正確にはチェコスロバキアは1920年代急速な選手のプロフェッショナル化で代表チームも強化、1934のFIFAワールド杯で国際舞台デビュー。

伝統に支えられる欧州の古豪