19〗Štadión Antona Malatinského / トルナヴァ

モンゴルを退けたルーシの末裔たち

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モンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ポーランド·ドイツ連合軍が激突したのは1241年。場所はハンガリーとスロバキアの国境に近いポーランドの南西部。現在ポーランド第四の都市ヴロツワフは崩壊した。ウィーン近くまで猛威は迫り風前の灯と思われたが、皇帝が急死したことでモンゴル軍は撤退した。14世紀後半にリトアニア大公国がモンゴル軍を撃破すると内紛により大帝国は衰退していくのだが実はこの大公国リトアニアは名ばかり。リトアニア人は少数派で、多数を占めたのは東スラブ系のルーシ人。このルーシ人は、のちのベラルーシ人やウクライナ人の先祖である。現在ロシア相手に一歩も引かないのは受け継がれた血のなせる業か。
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2015年8月22日にリニューアル·オープンしたスタジアム。一周年を祝いマラチンスキーの銅像の除幕式が行われた。スタジアムに向って61号線沿いの緑道をひたすら北に歩む。途中見かけた銅像·モニュメントはプレスブルク(現在のブラチスラヴァ)で神学を学び、標準スロバキア語を大系化した偉人。商業施設とスタジアムが一体化、クリスマスイルミネーションと買い物客の装いで華やか賑やか。取材した試合はUEFAネーションズリーグのウクライナVSスロバキアの東西スラブ対戦は興味深い。
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