Foot ball Drunker 〔57〕visiting 『 Puskás Ferenc Stadion 』ブダペスト / ハンガリー

1953年8月20日のオープニングセレモニーでは、IOC委員長のアベリー·ブランデージ:Avery Brundage【1887年9月28日生-1975年5月8日没】の眼前を1万羽の鳩が羽ばたき、ソ連から招いたスパルタク·モスクワに3対2のスコアで勝利したのはブダペスト·ホンヴェド。
フットボールの国際試合を国家の威信を示す場として利用したのが共産主義、代表クラスの選手をホンヴェドに集中させていたから強くて当然。下層労働者階級に産まれ育ったプシュカシュ·フェレンツ:Ferenc Puskás【1927年4月1日‐2006年11月17日】ではあるが、最強の国防軍チームでの功績が認められ高位軍人の栄誉が与えられた。


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しかし1954年のFIFAワールド杯カップで西ドイツに国家代表が敗北、失望が導火線となり、共産党体制の政治に対する不満が大爆発したのが冒頭の1956年のハンガリー動乱(革命)。

h3 class=”midashi”>反ユダヤを掲げる緑の怪物 ナチス指揮下の軍部隊を名乗る代表サポーター

これに対して、市民のクラブとして人気を集めたのがフェレンツヴァロシュだった。但しドイツ系キリスト教徒達は、ハンガリー人の誇りを体現する中で、人種主義的な反ユダヤ主義にファン· サポーターは染まってしまう。ユダヤ系のMTKとのダービーは殺伐としたものに。写真は、前回PKを決められた写真で申し訳なかったのでホンヴェド戦でハイボールをキャッチするディブス。


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1980年代には共産圏でも最も西側の影響を受けた同国は、地域企業の資金力で各クラブ間の序列が固まる。するとフーリガンによる暴力が再び社会問題に。

ハンガリー代表を応援するカルパティア旅団:Carpathian Brigade。二次大戦時にナチス指揮下でソ連に牙を剝いた軍部隊の名を受け継ぐ。複数の過激派グループの集合体で、中でもフェレンツヴァロシュのサポーター『グリーンモンスターズ』は、悪名を国内外に轟かせている。黒人やジプシーへの人種差別、反ユダヤ主義のチャントを大合唱し極右愛国者を自認する彼らの旗揚げは1995年。フーリガンの多くは格闘技経験者で、半裸で筋肉を誇示するのも楽しんでいる様子。

彼らがただの極悪非道のならず者であれば、ここまで人数が増えた続けない。実は何年にも渡って病院、特に子供たちに重点を置いて支援活動をしている。また洪水、積雪、その他の自然災害の際にも救済に駆けつけており、コロナウイルス感染者が続出した時には医療従事者をサポーしていた。そしてハンガリーのファングループで慈善活動を行っているのは彼らだけではない。


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ソ連軍が徹底的にブダペストを叩いたのは他の旧東欧国へと自由化の波が拡がるのを恐れたから。プーチンのウクライナ侵攻も
勢力圏への脅威と感じた点では同じ。おそらく短期決着をイメージしていたのではないだろうか。
スペインに亡命したブシュカシュが祖国の地を再び踏むのは1992年。アルツハイマー病、肺炎を患い2006年にブダペストで永眠する。命日は筆者の誕生日と同じ11月17日だった。[第57話了]


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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:JENNA 林恵梛