Foot ball Drunker 〔57〕visiting 『 Puskás Ferenc Stadion 』ブダペスト / ハンガリー

ソ連軍にブダペストが鎮圧された11月10日

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今月の10日はハンガリー共和国では特別な日。下写真はハンガリー最西端のショプロン行きの列車。その先にはオーストリア共和国との国境。


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1953年にスターリンの他界直後、共産圏の民衆は労働環境の改善や言論の自由を叫び出す。ソ連軍は鎮圧にかかり、10月ブダペストは戦場と化す。一度はソ連軍が撤退·停戦するが4日再び侵攻、11月10日に終結するまでの短い間にハンガリー側の死者数は17,000人に上り、20万人が他国へ難民として亡命している。


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UEFA2024欧州選手権本選出場を決めたハンガリー代表。最大の功労者は全8試合フル出場で7失点の抑えた守護神ディブス·デーネシュ:Dibusz Dénes 【1990年11月16日生】。2011年にペーチでネムゼティ·バイノクシャーグ1部デビュー。フェレンツヴァロシュに移籍、2014年3月以降ゴール前に立ちはだかり既に10年。国外に移籍することなくUEFAコンペティションで経験を重ねてきた。ちなみに11月16日なので筆者と誕生日が1日しか違わない。
代表チームで最年長のディブスでさえ1989年のベルリンの壁崩壊以降に生まれた世代。崩壊に先駆け8月ハンガリーは、ショプロンの国境を開放し東ドイツ国民をオーストリアへと送り出している。


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第20話のグルパマアリーナは、前本拠地の敷地に再建されたスタジアム。旧アルベルト·フロリアン·スタジアム取り壊し前の2013年3月、偉大なOB達を招いてのセレモニーで別れを告げた。フロリアン·アルベルト:Albert Flórián【1941年9月15日生-2011年10月31日没】は、バロンドール受賞のストライカー。解体から竣工まで、仮のホームスタジアムとして使用したのが旧国立競技場のフェレンツ·プシュカシュ·スタジアム。

これには苦笑せざるを得ない。

訪問したのは、およそ一年後のリーグカップ準決勝ファーストレグ。ディオーシュジュールVTK戦の入場者数は800人。されど手に汗握る好試合。立ち上がりアウェイチームの攻勢をJovaのファインセーブ連発で凌ぎ先制したのはグリーンイーグルスだったが、バチャ·パトリク:Patrik Bacsa【1992年6月3日生】の単独ドリブルをファウルで止めて退場者を出してしまう。
後半セットプレーで同点シーンが下写真。決勝ゴールを決めたのは背番号9。試合後はファン・サポーターと歓びを分かち合う。


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秘密警察と軍が再編したチーム ホンヴェド

スポーツを軍事政策に取り込もうと画策した国防省により、1939年に国内でスポーツ教育に関わる全ての団体・施設は、全て同省直轄機関の指揮下に置かれてしまう。第二次対戦の終戦から間もない1949年、ソ連支配下で共産党の一党独裁体制が敷かれたハンガリーで、キシュペシュトは国防省=陸軍のクラブとして再編される。与えられた名前は祖国を守護する兵士。