156〗 Jan Breydel Stadion / ブルッヘ

日本スポンサー企業の恩恵 ガラスケ-スの藤娘は四十五年前の戦利品?

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訪問したこの十一年前は大手空調総合メーカーのダイキン工業がメインスポンサー契約を結んでいる。ユニフォームの胸にDAIKINの六文字が入っていたのだから同胞としては誇らしい。この試合は撮影申請をしていなかったのだが、ピッチサイドに誘導してもらえる好待遇。おそらく日本企業の恩恵に与った次第。同社がブルッヘ近郊のオーステンデに現地法人を設立したのは1972年。翌73年から空調機の生産がスタートした。五十周年記念式典に日本政府から来賓も招かれるなど肝胆相照らす仲。そして筆者にとっては記念すべき人生初のピッチサイドでの撮影となった。
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プレスルーム内を撮影するとガラスケース内に日本人形。1981年のジャパンカップ·キリンワールドサッカーで来日しているブルッヘ。6月10日旧国立でインテル·ミラノとの青黒対決を制し優勝した際の記念品と思われる。ヤン·ブレイデルでの試合はホームチーム1点リードで折り返し、後半14分マタイセンが動く。二枚替えは共にフォワード。当時ルーヴェンで唯一聞き覚えのある名前。電光スクリーンに表示されたのはヨルダン·レマクル:Jordan Remacle【1987年2月14日生】の名前。
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2006年8月エールディビジ開幕戦でアヤックスはRKCヴァールヴァイクに5-0圧勝の好スタート。この試合三点差を追うヴァールヴァイクの指揮官がアドリー·コスターだった。後半15分に十九歳のベルギー人フォワードをピッチに送り出す。オランダデビュー戦は何もできず試合終了のホイッスル。相手がアヤックスでは気の毒としか言いようがない。
成績不振を理由に一年で解任された外様コスタ-だったがアヤックスがユースアカデミーに迎え入れ、その後トップチームまで任されたのだから箔も付く。2009年4月8日前述のとおりブルッヘ監督就任。その後オランダU20とU21代表、また2015年から18年まではサウジアラビアで指導者に。リオ五輪予選を兼ねたU23アジア選手権一次リーグ(2016年1月カタール·ドーハ開催)で日本五輪代表に敗れている。上の写真でレマクルをマ-クしているのは見覚えのある背番号二十。一年前に見たヴァナケンは、このシ-ズンにブルッヘと移籍していた。以来主将としてリーグ優勝六回に貢献、リーグ最優秀選手賞(MVP)は三回獲得しているミスタージュピラ-プロリ-グ。ブルッヘとの契約を2028年まで延長している。