Foot ball Drunker 〔137〕visiting 『Philips Stadion』アイントホーフェン / オランダ

変貌を遂げる オランダ五番目の都市

◇◇◇◇
 
2009年アイントホーフェンからローマへの航空券。ライアンエア9616便のチケットに名前はない。そして座席番号もない。早めに搭乗手続きを済ませ並んでいれば一番前の座席を確保できて足を延ばせた。同市の空港は規模が小さくて当然。アイントホーフェン市の人口は20万人強。これは同国憲法で定める首都アムステルダムのおよそ75万、港湾都市ロッテルダム60万、行政を司る実質首都機能を有するハーグ50万、そしてユトレヒト30万人の更に下5番目。周辺の自治体を含めれば都市圏の人口は70万人。アムステルダムまで列車で一時間半はかかるものの、ベルギー第二の都市アントワープまでなら90キロ。車を飛ばせば一時間もあれば着く距離。


◆◆◆◆

大手エレクトロニクスメーカー、フィリップス社の創業は1891年。オランダフットボール協会はその二年前に設立され、六年後に国内リーグが幕を開ける。同社の発展イコールこの街の発展だったが2001年本社が何とアムステルダムへと移転。空いた建物やスペースを改装し新たな街へと変貌を遂げようとしている。


◆◆◆◆

負傷者に代わる追加招集メンバーも決定。三日後に控えるUEFA欧州選手権初戦の相手はポーランド代表。こちらの大黒柱欠場のほうが深刻。ユーロ名物死のグループ。個人的に印象深いのは2008年スイス·オーストリア共催大会。この頃は8歳の息子より親父が少年サッカーに夢中で日曜は小学校のグラウンドに。指導者と審判の講習に通っていた頃でオフサイドについて学んでいた際、講師の方とファン·ニステルローイ:Rutgerus van Nistelrooij【1976年7月1日生】のイタリア戦ゴールの珍しい判定の話題で盛り上がったのを覚えている。


◆◆◆◆

2006年W杯決勝での因縁を引き摺る伊仏に割って入ったオランダが、下馬評を覆し3連勝で首位突破、世界王者イタリアは辛うじて二位通過で面目を保ったが、フランスは屈辱の最下位敗退。
しかしそのオランイェの快進撃も自国の英雄フースヒディンク·ヒディンク:Guus Hiddink【1946年11月8日生】指揮するロシアにベスト16で急停車。その名前が日本のメディアに初めて取り上げれたのは、おそらくトヨタカップ出場のPSVアイントホーフェンを率いた1988年の来日時。フットボーラーと教育者の二束の草鞋を履く変わり種。当時特殊学級の子供たちと接した経験が後の名将を育む。1986-87から89年まで、ライバルのアヤックス、フェイエノールトを抑え、3年連続で銀皿はアイントホーフェンの街に。


◆◆◆◆

当時は旅行代理店に就職しておらずツアコンなどバイトを掛け持ちしながら間抜け面を晒して日々を過ごしていた。欧州の知識も薄っぺらで、アイントホーフェンの都市名を知ったのもPSVの来日がきっかけ。先月9日米国映画界の巨匠ロジャー·コーマン:Roger Corman【1926年4月5日生-2024年5月9日没】が鬼籍に入られたれたが、当時PSVの要オランダ代表ロナルド·クーマン:Ronald Koeman【1963年3月21日生】もコーマンと記載されており読んでいて幾分赤面した。若い方には馴染みがないかもしれないがWikiには性行為の俗語、業界用語としっかり記されている。