オランダでは謎の富豪でも 母国グルジアでは超有名
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’90年代順調と思われたクラブ運営だったがスタジアム建設費に財政が圧迫されると成績も下降線をたどる。2000年メインスポンサーのエネルギー供給企業ヌオン※現Vバッテンフォルの撤退が致命傷となった。そこへグルジア(現ジョ-ジア)から救世主が現れ、クラブを買収したのは十年後の2010年。謎のグルジア人富豪とオランダの紙誌面で紹介されていたのがヨルダニア。調べてみたら、母国グルジアで知らない人はいない。首都トビリシに生まれた182cmの長身ミッドフィルダーは、ディナモ·トビリシの下部組織を経て1982年にトップデビューを果たす。ディナモは前年、ウエストハム·ユナイテッドやフェイエノールトの西欧列強を下してUEFA カップ·ウィナーズ·カップを獲得しており、旧ソ連を代表する強豪としてその名を馳せたクラブチーム。’90年連邦の崩壊により同国協会が発足。’92年にFIFA及びUEFAに加盟する。ヨルダニアは現役を退きディナモのオーナーに就任していた。
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一方同国代表チームは’96年イングランドでの欧州選手権、ワールドカップ’98年フランス大会予選に惨敗。そこで母国のために一肌脱ごうとヨルダニアは協会の会長に就任。しかし上昇の気配を見せない代表チームに業を煮やし、2002年旧役員スタッフを全員解任する荒療治。自身が会長職と代表チームの監督を兼任するワンマンぶりを発揮した。結果多くの敵に囲まれ脱税の容疑で逮捕。’05年にも詐欺横領の容疑で再逮捕され協会に身の置き場を失っている。メディア報道によるとヨルダニアの裏で資金提供した人物としてイスラエル系ロシア人の実業家シャルバ·チギリンスキー:Sjalva Tsjigirinski【1949年7月1日生】の名前もあがった。’90年代には英ロンドンに本社を置く石油会社シビル·エナジーの大株主となった大富豪。プレス発表の席上でAZアルクマールとフィテッセを天秤にかけフィテッセを選んだと発言したヨルダニア。2013年10月に自身のフィテッセ株を、シャルバの弟アレクサンドル:Aleksandr Chigrinsky【1963年1月1日生】に売却している。
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フィテッセ愛に溢れる指揮官 最年少チ-ムでの再出陣
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それから紆余曲折を経て財務規則違反により勝ち点を剥奪されての’24年二部降格。ほんの三年前のUEFAヨーロッパカンファレンスリーグ予選(プレ-オフ)では隣国のトップレベルにあるアンデルレヒトを退けたクラブがまさかの急降下どころか墜落するとは。昨季エールステ·ディヴィジで、開幕前から決定していた最下位で踠くクラブを指揮したのはかつてアンデルレヒトを指揮した事もあるヨン·ファン·デン·ブロム:John van den Brom【1966年10月4日生】。危急存亡を迎えたのだから、切り札はこの人しかいない。
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移籍金の不足額十万ユーロは自腹で払ってまでも、十一年ぶりにアーネムへと戻った。1986年のデビューから2003年に引退するまでの十七年間の現役生活の大半=十二年間をフィテッセで過ごした彼はア-ネムのヒーローなのである。フィテッセに対してKNVBからプロライセンスが戻され消滅の危機から脱したのは開幕一週間前。前月就任した新監督ブロムは、手駒こそ辛うじて揃えたものの各プレーヤ-の経験不足は否めない。九節FCフォレンダム戦のスタメン平均年齢はクラブ歴代最年少記録を更新し二十二歳にも満たない。ちなみにこれまでの記録はやはりブロムが指揮を執った2011年9月のロ-ダ戦。この試合には当時二十三歳の安田理大:Michihiro Yasuda【1987年12月20日生】もスタメンに名を連ねている。